昔の人は、よく言ったものだ。「ひとつ年上の女房は金のわらじをはいてでも探せ」と。ひとつ年上の女房は賢い上に気立てがよく、年下の夫をよく立てる。加えて言えば、夫が少々ヘマをしたくらいでは愛想を尽かさない。これこそ理想の女房というわけだ。


 金は「きん」ではなく「かね」、すなわち鉄のこと。鉄製の重いわらじを履いて探し回ってでも娶(めと)るだけの価値はあるという意味だ。もちろん以上は俗説であり、何の根拠もない。


 だが、こちらは単なる俗説ではない。「打てる女房は金のわらじをはいてでも探せ」。油断のならない笑みを浮かべて、よくそう口にする名物スカウトがいた。広島の黄金時代をつくったことで知られる木庭教である。


 言うまでもなく女房とはキャッチャーのことだ。木庭に言わせれば守りや肩が重視されるキャッチャーというポジションにあって、「棒を持たせてもプロでメシが食える者はそうはいない」。それほどの逸材がいるのなら「金のわらじをはいてでも見に行きますよ」と続けるのだった。


 お眼鏡にかなったキャッチャーはいたのか。後に“鉄人”と呼ばれる衣笠祥雄である。「ある日、平安高校のグラウンドで彼の練習を見ていた。フリーバッティングの時かな。僕の所に彼のバットがコロンと転がってきた。それで拾ってやった。と、これがズシリと重い。普通、高校生は920グラム程度のバットを使うのに、彼のは優に950グラムはあった。しかも、そのバットをものすごいスピードでビュンビュン振り抜いている。コイツは大したもんやと…」。生前、聞いた話だ。


 周知のように衣笠はキャッチャーでは成功しなかったが、野手に転向してから頭角を現し、生涯で504本のホームランを打った。2215試合連続出場は、今も破られることのない日本記録だ。


 甲子園での大会新記録となる6本塁打。右に1本、右中間に1本、中に1本、左中間に1本、左に2本。高校時代の清原和博も顔負けの広角ホームランだ。しかも俊足、強肩。フットワークも内野手ばりに軽い。


 今夏の甲子園は広陵・中村奨成のワンマンショーの趣を呈している。隠し球の指名を至上の喜びとしていた木庭が生きていたら、きっとこう嘆いたに違いない。「こんなに有名になってしもたら、もう僕の出番はありませんわ」。広島からやってきたこの18歳、何者なのか…。

 

<この原稿は2017年8月23日付『スポーツニッポン』に掲載されています>


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