DSC03408とり済み 2007年柏レイソルユースに所属していた輪湖直樹は大学進学を目指していた。だが、ヴァンフォーレ甲府からオファーを受けてプロの道に進むことを決意した。

 

 当時の甲府はJ2だった。J1初年度の06年は残留を果たすが、翌年は開幕から躓いてJ2に降格の憂き目にあっていた。08年はヘッドコーチを務めていた安間貴義が指揮を執ることになった。安間はルーキーの輪湖を積極的に起用した。

 

「(入団して)最初のキャンプはレベルの差を感じました。でも、徐々にプロの世界に慣れていった。4月くらいから試合に出られるようになりましたね。監督にはオレの必死なところを評価してもらえたのかもしれませんね」(輪湖)

 

 この時から本格的に左サイドハーフから左サイドバックにコンバート。ユース時代から経験のあったサイドバック。輪湖にとってポジション前後はさほど問題ではない。苦しい時でも頑張る姿勢を評価してくれたことに応えたかった。がむしゃらに左サイドを駆けた1年目。最終的にJ2リーグ戦に28試合に出場した。

 

 2年目は背番号が「33」から「6」に変更になった。託されたレギュラー番号にクラブ側の期待がうかがえた。ところが、である。この年、輪湖は1年目の半分にも満たない10試合の出場でシーズンを終える。

 

 輪湖は苦い表情で2年目を振り返る。

「その時に何を考えていたかは、あまり覚えていません……。1年目にたくさん試合に出場できて、少し天狗になってしまったのかな、と思います。2年目に試合に出られなくなってすごく悔しかった」

 

価値観を変えた徳島移籍

 

DSC03411とり済み プロ3年目を迎えた輪湖は移籍を決心する。新天地はJ2の徳島ヴォルティスだ。「新しい環境に飛び込むのは苦手なタイプ」と輪湖は言う。不安も多かったはずである。しかし、徳島という地は輪湖の価値観を変えた。

 

「プロになって初めての移籍。四国はすごく未知数で怖かった。でも、飛び込んでみたら、人としてすごく良い経験になった。徳島への移籍がきっかけで、むしろ、いろいろな所へ行ってみたいと思うようになったんです。自分でも“オレ、変わったなぁ”と思うくらいです」

 

 徳島には2年間在籍して、J2リーグ戦20試合出場。プレータイムが多かったわけではない。むしろ、プレーヤーとしては思うようにいかなかった。それでも輪湖は「徳島では人として成長できた」と述懐する。選手として出場機会を求めるのは至極当然。輪湖は再度、移籍に踏み切る。12年からは水戸ホーリーホックに活躍の場を求めた。

 

 水戸はJ2の中位から下位に位置するクラブである。11年から元日本代表DFで“ドーハの悲劇”では主将を務めた柱谷哲二がクラブを率いていた。輪湖が水戸加入時、柱谷体制は2年目を迎えていた。このクラブで輪湖は、初めてほぼフルシーズン戦うことになる。加入1年目は30試合、2年目は28試合に出場した。輪湖は「水戸ではコンスタントに出場することの難しさを経験した」と語り、こう続けた。

 

「毎試合、100%の力を発揮する難しさを水戸に在籍した2年で感じました。続けて試合に出れば、相手に研究されてくる。自分が分析されて崩れそうになってしまった時、柱谷監督がすごく気にかけてくれました。“オマエは良い選手だから、もっとやれる”と。自分に自信を持たせてくれる監督でした」

 

 柱谷は世間的に“闘将”というイメージだ。だが、輪湖に言わせると「そのイメージはなかった。優しい人」である。柱谷の下で順調に試合経験を積んだ輪湖にJ1のクラブからオファーが舞い込んだ。そのクラブとは、アカデミー時代に育った柏レイソルだった。実は、輪湖が柏に“復帰”できたのは輪湖曰く、アカデミー時代の指導者である吉田達磨のおかげだという。

 

 14年、ユース時代に衝撃を受けた古巣への復帰。J2からJ1のプレースピードに慣れるのにさほど時間はかからなかった。加入1年目ではコンスタントにベンチ入りを果たす。2年目になると恩師・吉田がトップチームの監督に就任した。この年、左サイドバックのレギュラーを掴んだ輪湖は、アジアチャンピオンズリーグ(ACL)の舞台を経験する。

 

「韓国のクラブは力強いフィジカルサッカー。ベトナムのクラブはトリッキーだったり、中国のクラブはすごい外国人選手が3人いたりと、ACLは日本では感じることができない、特別な舞台です」

 

 高校時代の挫折、J2を渡り歩いた日々、そして掴んだJ1クラブでのプレー機会。柏でレギュラーを掴み、アジアの舞台で凌ぎを削るまでになった。

 

 この年、柏はACLで決勝トーナメントまで進出する活躍を見せるが、リーグ戦では年間10位と振るわなかった。シーズン終了をもって吉田の退任が発表された。輪湖は、吉田がクラブを離れた今でも感謝の念を抱いている。

「高校1年の腐っていた時も達さん(吉田の愛称)が“このままだと、ダメだぞ”と気にかけてくれた。プロ(甲府)に行く時も背中を押してくれた。(水戸から)柏に戻る時も達さんに戻してもらった。今もプロを続けられているのも達さんのおかげだと思っています。オレの人生のキーマンですね」

 

 所属クラブで活躍し続けることが、吉田への何よりの恩返しとなるはずだ。ただ、今季の柏の左サイドバックの層は厚い。今季から韓国代表経験のある左利きのDFユン・ソギョンが加入。さらに両サイドでプレーが可能なDF古賀太陽をユースから昇格させた。輪湖は今季の個人的な目標に「優秀選手に入ること」を挙げている。まずは激しいレギュラー争いを勝ち抜いて、ピッチでアピールできるかにかかっている。6年ぶりの優勝を目指す柏。輪湖の闘志あふれるプレーが苦しい時にこそ必要だと、多くのファンが思っている――。

 

(おわり)

 

DSC03410プロフ<輪湖直樹(わこなおき)プロフィール>

1989年11月26日、茨城県取手市生まれ。宮和田FC-柏レイソルU‐12-柏レイソルU‐15-柏レイソルU‐18-ヴァンフォーレ甲府-徳島ヴォルティス-水戸ホーリーホック-柏レイソル。柏のアカデミーで育ち、U-15、U-17、U-20日本代表にも選ばれた。2008年に甲府でプロデビュー。14年、柏に“復帰”した。熱い気持ちと冷静さを兼ね備えた左利きの貴重なサイドバック。身長171センチ、体重65キロ。J1リーグ通算83試合出場4得点(8月25日現在)。

 

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(文・写真/大木雄貴)

 


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