悲劇は突然、訪れるわけではない。予兆があり伏線がある。小さなほころびが、やがて破局をもたらせる。


 とびはねるようにダイヤモンドを一周する王貞治と、まるで最終ラウンドにKOされたボクサーのようにマウンド上でガックリとヒザを折る山田久志。あれほど残酷なコントラストは見たことがない。


 1971年10月15日、日本シリーズ第3戦9回2死一、三塁の場面で、阪急のエースが巨人の4番から浴びたサヨナラ3ランは未だに語り草だ。


 阪急にとって悲劇の伏線は2死一塁の場面で飛び出した長嶋茂雄のセンター前ヒットだ。何の変哲もないボテボテの打球はショートの定位置へ。<ところがどうした事か、阪本が一歩逆方向へ動いたため、ゲームセットのはずがピンチに変わった。なぜ阪本が逆へ動いたか、今もってわからない>。日本経済新聞の名物コラム『私の履歴書』で阪急監督の西本幸雄は述べている。


 推測だが長嶋は阪本敏三の守備位置を確認し、そのまま打てば正面に飛ぶと判断し、あえてミートポイントをずらしたのではないか。“動物的カン”が働いたのだろう。


 続いては2006年10月12日。北海道日本ハム対福岡ソフトバンクのプレーオフ第2ステージ第2戦。もう後のないソフトバンクは中4日でエース斉藤和巳をマウンドに送った。


 0対0で迎えた9回2死一、二塁。ここで日ハム稲葉篤紀の打球は斉藤の足元を抜きセカンド右へ。封殺を狙った仲澤忠厚のトスは間一髪セーフ。斉藤が「ヤバイ」と本塁を振り返った時にはもう遅かった。二塁ランナー森本稀哲は猛スピードで三塁を回っていた。


 フリオ・ズレータとホルベルト・カブレラに抱き抱えられながらマウンドを降りる敗戦投手の姿は正視に耐えなかった。「悔いがあるとしたら先頭打者(森本)に与えた四球。もう一度人生があるなら、あそこだけはやり直したい」。重い口ぶりで斉藤はそう語ったものだ。


 さる3日、0対1でソフトバンクにサヨナラ負けを喫し、マウンドに崩れ落ちた東北楽天のエース則本昂大の悲愴な姿に山田と斉藤の昔日が重なった。アルフレド・デスパイネの詰まった打球は無情にもセンター島内宏明のグラブ際ではねた。「残念な一球」と傷心の右腕。かくして「悲運の殿堂」入りを果たした則本だが、彼にはまだリベンジの機会が残されている。

 

<この原稿は2017年9月6日付『スポーツニッポン』に掲載されています>


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