(写真:会見で涙はなく、最後まで笑顔が目立った)

 7日、現役引退を発表したプロテニスプレーヤーの伊達公子が東京・有明コロシアムで記者会見を行った。2度目の現役引退を決めた伊達は「こんなに幸せなアスリートもそういないんじゃないなと思います」とプロ生活を笑顔で振り返った。現役最後の試合は11日開幕のJapan Women’s Open(有明テニスの森公園)で、伊達の初戦は12日(対戦相手未定)となる。

 

 彼女は引退を語る場所に聖地を選んだ。伊達にとって、思い入れのある有明コロシアムのセンターコート。特設の会見場に詰めかけた100人を超える報道陣の前で、ユニフォーム姿ではなくパンツスーツで現れた彼女はその理由を説明した。

「再チャレンジを始めた時の場所もテニスコートでした。今回、引退試合として選んだ場所が有明ではあるんですが、今大会はコロシアムを使わないので、コートに立ってプレーするチャンスがありません。それで有明コロシアムという思い出の詰まった場所を皆さんに気持ちを伝える場所として選ばせていただきました」

 

 有明コロシアムのセンターコートは伊達自身も「忘れられない試合」と口にする1996年4月のフェドカップ(日本vs.ドイツ)の会場である。伊達は当時世界ランキング1位のシュテフィ・グラフと対戦した。グラフはグランドスラム通算22勝を挙げ、男女唯一の年間ゴールデンスラム(グランドスラム+オリンピック制覇)達成したテニス界にその名を刻むレジェンドだ。伊達にとってもグラフは特別な存在。「私にとっては憧れと呼べないくらいの存在感と強さだった。真のアスリート、No.1であるべきプレーヤー」と称えるほどだ。そのグラフとの3時間25分に及ぶ死闘を制した有明での試合は日本テニス史に残る最大のアップセットと言っていいだろう。

 

(写真:「最後に戦う場所は東京にしたいという思いが非常に強かった」と有明の地を選んだ)

 89年、伊達はプロ転向してから数々の栄光を勝ち取ってきた。グランドスラムは全豪、全仏、ウィンブルドンのシングルスでベスト4入りを果たし、世界ランキング最高位は4位である。そして96年の現役引退から約11年半の歳月を経て、2008年4月にカムバックを果たした。当時37歳。運動量の多いテニスにおいて、この年齢での「再チャレンジ」は異例の挑戦だったと言えよう。

 

 現役復帰を果たしてから約9年半――。伊達の齢は46歳になった。「ここ数年はどこかしら痛みを抱えることがあった」と言うようにケガとの戦いは続いた。そんな彼女が2度目の引退を考え始めたのは8月上旬だという。7月のアメリカ遠征から帰ってきてからだ。「ヒザに加えて肩に問題を抱えるようになってしまい、ドクターと話をしました。アメリカ遠征を整理してみると“決断しなければいけない時期なのかな”という気持ちが膨らんできた」。そして8月下旬、自身のブログで引退を発表した。

 

 日本女子テニス界の第一人者の幕引きが明らかになると、スポーツ界から伊達へのメッセージ(いずれもアディダスジャパン公式Twitterより)が届いた。

<その勇姿が、教えてくれた。年齢はハンデじゃない。経験というアドバンテージなんだ、と>(サッカー 香川真司)

<日本代表チームを指導していた頃、よく彼女の話をしたんだ。「伊達選手を見習って自己鍛錬を怠るな」ってね>(ラグビー エディー・ジョーンズ)

<モチベーションを保ち続けることがプロの仕事ならば、伊達選手は、まさに超一流のプロフェッショナル>(プロ野球 山田哲人)

<アスリートとしても。女性としても。私にとって伊達選手は、夢と希望そのもの>(スポーツクライミング・野中生萌)

 

 一流は一流を知る。上記の称賛の声からも彼女の功績が窺える。言葉よりも背中で発してきたメッセージがある。それは伊達自身も誇りに思っているはずだ。

「夢を持つことすら、何かを動き出すことすら妥協してしまうことがある。そこに年齢は関係なく、自分のやりたいことを思い続けること、それをやり始めること、やり続けることが大事。少しの勇気を持てば、まだまだ自分の世界は切り拓けられることは示せたのかな」

 

(写真:2度目の現役については「1つ1つのチャレンジが楽しかった」と語る)

 これまでの競技人生を、伊達はこう振り返った。

「こんなに幸せなアスリートもそういないんじゃないなと思います。やはり2度も世界のトップレベルで戦うチャンスを得ることができた。1度目はランキングにこだわって、トップ10に入り、最高位は4位でした。グランドスラムの4つのうち3つでセミファイナルを経験できた。2度目の再チャレンジ後は30代後半から40代前半の中でトップ50をクリアできたことは自分でも想像できなかったことです。そして何よりもツアーが楽しかった」

 

 伊達は「今の自分にできる最大限のプレーをすること。その準備にしかエネルギーを使っていない」と目前のJapan Women’s Openに集中している。引退後の活動ついては「まだどうするかは正直、考えていません」と明言しなかったが、「1回目の引退後のように“しばらく何もしたくない”“ラケットも握りたくない”ということにはならないと思います」と、何らかの形で今後もテニスには関わっていくようだ。

 

 会見で伊達に涙はなかった。時折、見せる晴れやかな表情からも悔いはないように映った。彼女は「まだまだやれるという思いがないわけではない。ただ現実、痛みが消えるわけでもない。“もう十分やった”と半々ですね」と胸の内を明かす。身長164cmと決して体格に恵まれてわけではない。パワー全盛の時代になっても、伊達は不屈の闘志と伝家の宝刀「ライジング・ショット」を武器に世界と戦ってきた。「やはりテニスが好きで、スポーツが好き。そこに尽きるのかなと思います」。それが彼女の原動力だった。

 

 一時代を築いたプロテニスプレーヤーがもうすぐコートを去る。約1時間に及んだ記者会見を終えると、大きな拍手で伊達は見送られた。

 

(文・写真/杉浦泰介)