障がい者プロレス団体「FORCE」の代表を務める永野明選手はハンドサイクルでの2020年東京パラリンピック出場を狙っている。同種目でパラリンピック出場を果たした日本人はまだいない。脳性麻痺で幼少時から両足を動かしにくい永野選手だが、これまでプロレス、マラソンなど様々なスポーツに挑戦してきた。永野選手のチャレンジスピリットに迫った。

 

伊藤数子: 今回のゲストはプロハンドサイクリストの永野明選手です。障がい者プロレス団体「FORCE」の代表兼レスラーという顔も併せ持つ永野選手ですが、まずはハンドサイクルを始めたきっかけについて教えていただけますか?

永野明: 2005年8月にハンドバイクでの100キロ走に挑戦している人をテレビで見たんです。その人は完走後に感動して泣いていました。その時に「なんできつい思いをして感動するんだろう」というようなことをポロっとこぼしたら、一緒に見ていた今の奥さんに「やってもいないのにそういうことは言ってはいけないよ」と言われたんです。僕は売り言葉に買い言葉で返してしまった。「じゃあやれば何でも言ってもいいんだろう」と。そこからは後に退けなくなり、「オレは生まれた博多まで行ってやるぞ」と思わず言ってしまいました。

 

二宮清純: 博多までとは?

永野: 博多は出身地なんです。東京から博多までは1200キロです。

 

二宮: それは普通のバイクで走っても大変ですよ。

永野: ハハハ。テレビで見た人は1日100キロ走破して感動していました。“だったら僕は1日120キロを10日間続けてみよう”と思ったんです。“それで気持ちが分かったなら、何でも言ってもいいだろう”と。そこから僕の「TE-DE(手で)マラソン」、ハンドサイクル人生がスタートしたんです。

 

二宮: 当時からハンドバイクは所有していたのですか?

永野: いえ。車いすもハンドバイクも持っていませんでしたので、まずはそこから準備を始めました。ハンドバイクを手に入れるためにインターネットで調べてドイツのメーカーを見つけて、ドイツ出身の友人に頼んで現地に直接交渉しに行ってもらったり、1200キロを走るためにトレーニングも積みました。そして3年が経った2008年10月、僕の挑戦が始まりました。

 

二宮: 高速道路を走るわけにもいかないでしょうし、どういうルートで向かいましたか?

永野: 基本的には国道を走りました。泊まるところを基準にスケジュールを組んでいったので、初日は日本橋から熱海まで行きました。

 

二宮: それはすごい。どんな道を?

永野: ハンドバイクは自転車と同じ扱いなので、基本的に歩道は走らないんです。

 

二宮: でも車道を走るのは危険が伴いますよね。

永野: まぁ僕は頑張るしかないですから(笑)。それに自転車で伴走してくださる方がいて、サポートの車も1台付いてきていただきました。

 

二宮: “チーム永野”がいるわけですね。1日の行程で何時間くらい走るのでしょう?

永野: 朝はだいたい6時にスタートです。終わるのは遅い時で深夜3時まで走っていました。早くても深夜0時は超えていましたね。

 

二宮: 坂道もありますし、体力的にもきついでしょう。

永野: 体力的には上りの方が大変ですが、下りは下りで神経を使います。特に夜中に走る下りは眠気との戦いです。注意力は散漫になり、ハンドル操作が危うくなりました。

 

 体中にテーピング

 

伊藤: 実は当時、私たち「STAND」のスタッフも永野選手に随行しました。永野選手のチャレンジをインターネット生中継するためです。ただ実際に流れた映像は永野選手の後頭部や背中のみ(笑)。画変わりが全くなかったですね。

永野: 日没までの1日約8時間。僕の後ろ姿ばかりでしたね(笑)。

 

伊藤: STANDのスタッフは当初の予定では3日間の随行でしたが、「永野さんを見ていたら帰れません!」と言うものだから私も「わかった」と。

永野 5日か6日ついてきてくれて、最後の福岡でまた合流しましたね。

伊藤: 「最後はどうしても見届けたい」と言っていましたよ。

 

二宮: 過酷な挑戦だったとは思いますが、1200キロの道のりで一番きつかったところは?

永野: 9日目に挑んだ山口県の欽明路峠は、急こう配で体力的にも限界を迎えていました。僕が一生懸命漕いでも全然前に進まなかった。体中にテーピングを巻いて、全身ミイラ男のような状態でした。すると僕の前にスタッフが立って動こうとしない。「これ以上はダメです」と。だから伊藤さんを含め僕を応援してくださった方々全員に電話をして「ここは無理です。車で移動させてください」とお願いをしました。すると「これまで走ってきたことは真実だから問題ないよ。その代わり福岡で元気な姿を見せてくれ」と温かい言葉をいただきました。

 

二宮: その翌日が最終日。テレビを見て「なぜ感動するんだろう」と思われたゴールインを実際に経験してみてどうでしたか?

永野: 現在のヤフオクドーム横にライブハウスがあるのですが、そこにゴールを構えていました。ゴールした直後には正直、何も考えられなかったですね。涙も出なかった(笑)。でもしばらくして涙が出そうになったのは、ゴールイベント終了後に出入り口のところで皆さんと握手をさせていただいた時です。そこで“これだけ応援してもらったんだなぁ”と実感し、泣きそうになりました。わざわざ僕を出迎えるために来てくれた。それは本当にうれしかったですね。

 

(第2回につづく)

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永野明(ながの・あきら)プロフィール>

1975年6月26日、福岡県生まれ。19歳で上京。1997年、「無敵のハンディキャップ」(北島行徳)を読んだことがきっかけで障がい者プロレス団体「ドッグレックス」に入団した。2000年には地元福岡で障がい者プロレス団体「FORCE」を設立。代表兼レスラーとして活躍する。2005年にハンドバイクで100キロ走る人を見て、自らもチャレンジを決意。3年間のトレーニングを経て、2008年に東京-福岡間の1200キロを走破した。プロハンドサイクリストとして活動し、現在はハンドサイクルで東京パラリンピックを目指している。学校法人国際学園所属。


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