プロ野球界には「捕手は捕手にしか育てられない」との定説がある。

 たとえば捕手として9度のベストナインに輝く古田敦也。師匠は言うまでもなく野村克也だ。

 

 

 古田によると、野村から技術に関する細かいアドバイスを受けたことはない。

「教わったのは野球に対する考え方。1年目、いきなりミーティングでホワイトボードに『耳順』と書いた。“知っているヤツは手を挙げい!”と。皆、下を向いていたら“人間として成長しなかったら、野球なんか成長しないんだ。ボケェ!”と。まず学ぶ姿勢を教え込む。これは徹底していましたね」

 

 ちなみに『耳順』とは論語の「六十而耳順」のことで「60歳になると、人の言うことを逆らわずに聞くことができる」という意味らしい。

 

 2937試合という捕手としての最多出場記録を持つ谷繁元信を育てたのは横浜時代のコーチ大矢明彦である。

 入団して間もない頃の課題はリード。ニックネームは「ミスター・パンパース」。未熟なリードゆえ「おしめが必要」と揶揄されていた。

 

 大矢は振り返る。

「たとえば球場までの車の運転。信号が赤だと、次の信号はどうなのか。また赤になる確率が高いとなれば、ひとつ手前で曲がり、赤信号に引っかからないようにする。ちょっとした工夫で予測能力を磨かせたんです」

 

 侍ジャパンの正捕手として第1回WBC優勝に貢献した里崎智也には「恩師」と呼ぶ人物がいる。ロッテ時代のコーチ山中潔だ。

「山中さんは選択肢を与えてくれた。たとえばワンバウンドを止めるには外国人のように足を広げるのか、それとも狭めるのか。やりやすいやり方でやれと。これが僕には合っていた」

 

 プロ入りを明言した甲子園6発男・中村奨成(広陵)の入団先が注目されている。里崎は「どんな指導者と出会うかが重要」と語っていた。磨き上げてこそダイヤモンドである。

 

<この原稿は2017年9月25日号『週刊大衆』に掲載されたものです>

 


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