残念ながら通算197勝を記録した“小さな大投手”長谷川良平の現役時代は活字と写真でしか知らない。3年連続(1960~62年)20勝をあげた大石清については、晩年、すなわち阪急に移籍してからしか記憶にない。


 私が知る限りにおいて、広島史上最強のスターターは完全試合1度を含むノーヒット・ノーラン3回をマークした外木場義郎である。75年にはエースとしてチームを初優勝に導いた。


 続いては通算213勝投手の北別府学。86年の5度目のリーグ優勝は18勝をあげた彼の力に依るところが大きい。黒田博樹も加えておきたい。日米通算203勝。昨季、広島の25年ぶりのリーグ優勝に貢献した。「男気」は流行語にもなった。


 ところで不思議なことがある。この3人、日本シリーズではひとつも白星がないのだ。巡り合わせもあるのだろう。北別府に至っては0勝5敗だ。


 広島は過去、3度日本一に輝いている。79、80、84年だ。戦績はいずれも4勝3敗。接戦を制して頂点に上り詰めた。


 日本シリーズで無類の勝負強さを発揮したピッチャーがいる。70年代後半から80年代前半にかけてローテーションを支えた山根和夫である。日本シリーズ通算5勝は、今も球団記録だ。


 球史に残る名勝負といわれる近鉄との79年日本シリーズ第7戦。“江夏の21球”で有名だが、この試合の勝ち投手は誰だったか。ラストシーンが鮮烈すぎてお忘れの向きも多かろう。実は山根なのである。第5戦で完封勝利を収めた山根は中2日で先発し、6回途中3失点と好投した。


 同カードとなった翌80年のシリーズも第4戦で完封、第7戦も6回3失点と好投し、江夏につないだ。84年の阪急との日本シリーズでも右腕は冴え渡った。3試合に先発し1勝ながら防御率1.96。日本一となった3度の日本シリーズ、いずれも雌雄を決する最終戦の先発を託されたのは山根だった。古葉竹識監督の信頼の大きさが窺えよう。


 37年ぶりの連覇を達成した広島の次なる目標は33年ぶりの日本一。山根のようなシリーズ男は現れるのか。CSを含め短期決戦はレギュラーシーズンの延長線上にはない。指揮官には非伝統的な采配、常識にとらわれない選手起用が求められる。

 

<この原稿は2017年9月20日付『スポーツニッポン』に掲載されています>


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