「ドーハの悲劇」がなければ「ジョホールバルの歓喜」はなかった。W杯フランス大会への出場を果たしていれば、キング・カズはとうの昔に引退していたのではないか。その時は悪夢でも、あとになって最高の良薬だったとわかることが、スポーツの世界ではある。横浜・斎藤学にとって、この時期に負ってしまった全治8カ月の重傷が、いずれ同じような意味を持つことを祈りたい。

 

 さて、選んだ側、より正確に言うならば選ぼうとしている側、そして選ばれようとしている側のどちらにも、まったく落ち度がないことはわかっている。批判を受ける謂われもない。そのことは重々承知しつつ、激しく落胆している。

 

 五輪代表監督の最有力候補に元広島の森保一の名前があがっているからである。

 

 地元開催の五輪である以上、なんとしてでもメダルを獲りたいという協会の意気込みはわかる。魅力的なサッカーを展開しつつ、見事に結果を残した森保に白羽の矢が立ったのも、当然と言えば当然である。予算の少ない広島を王者に導いた彼ならば、世界をアッと驚かせることができるかもしれない。

 

 だが、冷静に考えてみると、これがどれほど異常な人事かがわかる。

 

 森保は広島を優勝に導いた。現在の日本で、もっとも魅力的なサッカーを展開する、もっとも魅力的な指導者の一人といえるだろう。大げさに思われる方がいるかもしれないが、スペインであればグアルディオラ、ポルトガルであればモウリーニョのような立場にあるはずである。

 

 ペップが、あるいは“スペシャル・ワン”が、母国のU‐23の監督になることがありえるだろうか。

 

 繰り返すが、東京五輪でのメダル獲得を目指すのであれば、森保以上の適材は他にない、とわたしも思う。だが、日本で最高の監督が、あろうことかトップカテゴリーではないチームを率いることを求められ、そのことにどこからも違和感を覚える声があがらないことには、激しく失望する。

 

 この人事が形になれば、多くの日本人には強烈な刷り込みがなされることになる。Jリーグのチャンピオンより、五輪代表の方が格は上――。

 

 Jリーグが発足してもうすぐ四半世紀になる。サッカーを日常に根付かせたいとの思いは、すべての関係者が抱いていたはずだ。

 

 だが、23年経っても、この体たらくだった。代表戦は客が入っても、日本リーグにはさっぱりだったあのころと、こんなにも変わっていなかった。

 

 女子ソフトボールしかり。なでしこしかり。いくら代表が強くとも、母体となるリーグに活気がなければ、ブームはすぐに終息する。東京五輪のことを考えれば最良の人事であることは理解しつつ、そのことによって代表とJリーグの歪な図式が固定されてしまうことが、わたしには怖い。

 

<この原稿は17年9月28日付『スポーツニッポン』に掲載されています>


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