世界陸上競技選手権モスクワ大会の代表選考会を兼ねた日本選手権が7日から開幕する。日本陸上競技連盟が設けた派遣設定記録をすでに突破している者は、今大会の入賞で代表に内定。それに次ぐ派遣標準記録Aをクリアした選手は優勝すれば、世界選手権行きの切符を手にする。日本選手権にエントリーした選手で、派遣設定記録を突破しているのは、男子100メートルの桐生祥秀(洛南高)、200メートルの飯塚翔太(中央大)、男子やり投げの村上幸史(スズキ浜松AC)ら5名。また日本選手権18連覇中の男子ハンマー投げの室伏広治(ミズノ)は、前回の大邱大会で優勝しているため、ワイルドカードでの世界選手権の出場権を獲得している。世界への挑戦権とともに、日本一の称号を手にするのは誰か。熱戦は東京・味の素スタジアムを舞台に3日間にわたって繰り広げられる。


 歴史への挑戦者たち

 物語の序章は、この日に始まった――。4月29日、広島での織田幹雄記念国際陸上。男子100メートルに予選で、10秒01という日本歴代2位のタイムが飛び出した。好記録をマークしたのは、昨夏のロンドン五輪で準決勝進出を果たした山縣亮太(慶應大)でもなく、日本選手権4連覇中の江里口匡史(大阪ガス)でもなく、17歳の高校生だった。

 桐生祥秀。決勝では山縣、江里口を退け、優勝した。一躍、桐生の名は全国区になり、連日メディアの見出しに登場した。5月5日のゴールデングランプリ東京では、初の国際大会ながら3位に入った。記録は向かい風もあって、10秒40だったが、自己ベスト9秒台の外国勢3人がスタートラインに並ぶ中、上位に食い込んだ。今、陸上界で一番、“旬”な男である。

 ただ、9秒台への期待は“最速の高校生”だけに注がれているわけではない。これまで男子100メートルを引っ張ってきた江里口には、ディフェンディングチャンピオンとしての意地がある。ここまで織田記念、ゴールデングランプリと桐生に2連敗中。「見ててもすごい。実力は本物」と評価しながらも、「僕自身、走るからには、勝ちたいという思いを持っている」と語った。口調こそ穏やかだったが、7歳下の高校生に周囲の視線は集中しており、内心は忸怩たる思いがあるはずだ。大学3年時から守り続けてきた最速スプリンターの称号。その座を譲る気は毛頭ない。

 桐生の登場までは、“9秒台に最も近い男”とされていたのは山縣だった。ロンドン五輪での日本人五輪最速(10秒07)を叩き出す活躍は、日本陸上界に一筋の光を灯した。そしてケガからの復帰戦で上々の記録をマークし、臨んだ地元の織田記念。予選ではB標準を突破する10秒17の1位で決勝へとコマを進めた。しかし、直後のレースで主役の座に躍り出たのは桐生だった。決勝では好勝負を展開したが、結果は敗れた。試合後は勝者を称えつつも、時折見せる笑顔の裏に、悔しさや自分への苛立ちを押し殺しているようにも見えた。

 3人の中では山縣が一番、9秒台という言葉を具体的に口にしてきた。「通過点に過ぎない」「僕には出す必要がある」。時に刺激的にも映る言葉の端には、全てを背負う覚悟が窺える。日本選手権での優勝経験はないが、世界選手権については「出る、出ないのところで悩みたくはない」と山縣の視線は、その先へと向けられている。それぞれのプライドを賭けた100メートルは、本日7日から予選がスタートする。果たして翌日の決勝で、陸上界の歴史は塗り替えられるのか。最速を巡る物語に目が離せない。

 白熱する頂点を巡る争い

 熾烈を極めるNo.1争いは、男子100メートルだけではない。男子やり投げと棒高跳びのフィールド種目も熱戦必至である。やり投げは大会2日目に決勝が行われ、ロンドン五輪10位のディーン元気(早稲田大)、世界選手権ベルリン大会銅メダリストの村上の2強が顔を揃える。

「昨年は後ろを追いかけてばかりだった」と、ディーンの後塵を拝し続けた村上だったが、今季は織田記念、ゴールデンGPで連勝。特に織田記念では自己ベストの85メートル96をマークした。昨年までは日本選手権12連覇を成し遂げるなど、長くやり投げ界をひとりで牽引してきた。そこに突如、現われたディーンという新星。わずか8センチ差で日本選手権の13連覇を阻まれた。その悔しさがバネとなり、村上を奮い立たせているのだろう。今大会では入賞でモスクワ行きの切符を獲得できるだけに、幾分プレッシャーは少ない。ゆえに勝負にこだわることなく、リラックスした状態で臨める。そこで自己記録を更新するようなビッグスローを期待したい。

 一方のディーンは、今季初戦で80メートル超えを記録するなど、出だしは良かった。しかし、織田記念、ゴールデンGP、関東インカレでは70メートル台と低調に終わっている。ただ昨年、春先に飛ばし過ぎて、ロンドン五輪時には調子を落とした反省がある。それを踏まえ、今年は年間を通した放物線を描く様なピーキングを持っていくつもりでいる。その頂点は8月でモスクワで迎える計画だ。2月の南アフリカでの合宿では、チェコ、フィンランドなどのやり投げの強豪国の選手たちを間近で見ることができた。そこで盗んだ技術を、どこまで自分に落とし込めるか。本人も「技術の確立」を目標に掲げている。助走において最後の加速をいかにつけられるかがカギを握る。「入賞は最低限」という世界陸上に向けて、日本選手権で大きなアーチを描けるか。

 棒高跳びは三つ巴の争いになりそうだ。前年度王者でロンドン五輪に出場した山本聖途(中京大)を筆頭に、荻田大樹(ミズノ)、澤野大地(富士通)が凌ぎを削る。中でも山本の好調が目立つ。昨年の秋から体幹を鍛え、安定感が増した。強風に苦しみ、記録なしの選手が続出したゴールデンGP東京では、5メートル70で優勝。続く東海インカレでは5メートル74の日本学生新記録をマークし、派遣設定記録をクリアした。連覇を狙う今大会は「去年は挑戦者。気持ちは楽に臨めた。今年は勝たないといけない」と王者のプライドを覗かせた。

 荻田は4月20日に米国で行なわれた大会で、自己新となる5メートル70を跳び、A標準を突破しての優勝。つづく国内初戦の織田記念を制するなど調子は良い。昨年7月にケガをしたことで、冬場は走り込みに力を入れられた。助走の力強さが、安定した跳躍につながっている。日本選手権では4度表彰台に上りながらも、その頂点には未だ立っていない。25歳のポールターが悲願の戴冠を果たせるか。

 そして若手2人に水を開けられているのが、第一人者の澤野だ。ただ9度の日本選手権を制している実績はピカイチ。東日本実業団で5メートル60を跳躍し、B標準はクリアしている。昨年はA標準を突破していながら、日本選手権で山本に敗れたため、ロンドン五輪の代表からは漏れた。エアー大地は、指定席だった表彰台への真ん中に舞い戻ることで雪辱を果たしたい。No.1ポールターは7日に決定する。

【競技日程】
・7日(金)
 男女100メートル 予選
 男女400メートル 予選
 男女400メートルハードル 予選
 男子3000メートル障害 決勝
 女子10000メートル 決勝
 男子棒高跳び 決勝
 女子走り幅跳び 決勝
 女子円盤投げ 決勝
 女子やり投げ 決勝

・8日(土)
 男女100メートル 決勝
 女子100メートルハードル 予選・決勝
 男子110メートルハードル 予選
 男女200メートル 予選
 男女400メートル 決勝
 男子400メートルハードル 準決勝
 男女800メートル 予選
 男子1500メートル 予選
 男子10000メートル 決勝
 女子三段跳び 決勝
 女子棒高跳び 決勝
 男子走り幅跳び 決勝
 女子砲丸投げ 決勝
 男子円盤投げ 決勝
 男子やり投げ 決勝

・9日(日)
 男子110メートルハードル 準決勝・決勝
 男女200メートル 決勝
 男女400メートルハードル 決勝
 男女800メートル 決勝
 男女1500メートル 決勝
 男女5000メートル 決勝
 女子3000メートル障害 決勝
 男女走り高跳び 決勝
 男子三段跳び 決勝
 男子砲丸投げ 決勝
 男女ハンマー投げ 決勝
 
※会場はすべて味の素スタジアム

(杉浦泰介)