今は亡き荒川博が一本足打法を伝授しなかったら王貞治の通算ホームラン数は868本に達していなかっただろう。同様に長嶋茂雄が「4番1000日構想」を掲げ、松井秀喜に英才教育を施していなかったら、ワールドシリーズでMVPを獲得するほどのスラッガーに成長することはなかっただろう。


 スポーツ選手にとって指導者との出会いは重要である。それが全てとは言わないが、成否のかなりの部分を占めている。大器ともなれば、なおさらだ。


 高校通算111本塁打の清宮幸太郎(早実)の才能を疑う者はいない。松井が「剛」なら清宮は「柔」か。


 私が初めて彼のプレーをナマで見たのは2012年の夏だ。舞台はリトルリーグの全日本選手権。清宮は東京北砂リトルの「3番・投手」で出場していた。


 13歳の中学1年生ながら身長183センチ、体重94キロの偉丈夫。まるで子供の中に、ひとり大人が交じっているような印象を受けた。


 原稿を依頼された雑誌に、こう書いた。<素質は突出している。投げては130キロ台の直球をびしびし決める。打っては典型的な左の長距離砲。芯に当たった打球は虹のような放物線を描く>(『日経ビジネス』2012年10月29日号)


 それから5年――。プロ志望を表明するにあたり、清宮は「野球に一番集中できる環境。成長させていただける球団に行きたい」と明言した。18歳の目的意識の高さに感心した。2日には10球団の幹部と面談を行った。指名権があるとはいえ、球団は選ぶ側から選ばれる側に回ったのである。そこでは育成方針や施設面について突っ込んだ話し合いが行われたという。指導者に関する質問は出なかったのか。


 TBS系の人気番組『サンデーモーニング』で張本勲は「(あれだけの素材だから)教えることも難しいし、いじくって失敗したら自分の責任になる」と語っていた。裏を返せば、理論と情熱に加え、覚悟を持った指導者でなければ大輪の花は咲かせられないということだろう。


 王に一本足打法を授けた当初、荒川はチーム内外から批判を浴び、今でいう“炎上”に身をさらされた。監督の川上哲治とも指導法を巡って対立し、孤立を深めた。それでもひるまなかったのは「オレは王を日本のベーブ・ルースに育てたかったんだよ」という信念に依る。出会いとは偶然か、それとも必然か…。

 

<この原稿は17年10月4日付『スポーツニッポン』に掲載されています>


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