ドラフト会議――それはプロ野球の裏方であるスカウトたちが1年に1度だけ脚光を浴びる日でもある。そこで今回は私が直に耳にしたスカウトたちの「名言」を紹介してみたい。


 ①「母親はしっかり者がいい」。これは九州を中心にスカウト活動を展開した元広島の村上(旧姓・宮川)孝雄(故人)の言葉だ。北別府学、緒方孝市、前田智徳…。そのらつ腕ぶりを評価した巨人監督時代の長嶋茂雄から「ウチに来て欲しい」と誘われたこともある。


「ぬるい母親の下でいい選手は育たない」。それが村上の持論だった。引き合いに出したのが213勝投手の北別府だ。「母親は昼飯代として毎日、500円を渡していた。だが、たとえ50円でもお釣りはきちんと受け取った。それを息子のために貯金していた。この母親なら大丈夫、と確信して指名したんです」


 続いては阪急黄金期の基礎づくりに貢献した丸尾千年次(故人)。米田哲也、山田久志、今井雄太郎…。なぜか丸尾が指名する選手は山陰や東北、北陸など雪国の選手が多かった。“灰色の球団”と呼ばれた阪急はアマの選手に人気がなく、自らの眼力と人脈に頼るしかなかったのだ。


 ②「社会人は仕事ぶりを見ろ!」。例にあげたのが完全試合男の今井雄太郎だ。新潟鉄道管理局時代、今井は操車場で貨車の連結を担当していた。「鋼のような腕をしとったね。仕事は黙々とこなし一切、弱音を吐かない。これは鍛えればモノになると…」。大雪の中、傘もささずに丸尾は今井の働きぶりに視線を送り続けた。「傘をさすと気付かれますから」


 最後は「ドラフト外の職人」と呼ばれた日本ハムの三沢今朝治(現長野県民球団取締役会長)。81年の最優秀防御率投手・岡部憲章、88年の最多勝・松浦宏明は、ともに三沢がドラフト外で獲得した選手だ。


 ③「ファンでいることと仕事は違う」。三沢がネット裏を職場にしていた時代の日ハムは人気がなかった。アマ選手の中には巨人をはじめとする人気球団への憧れを口にする者が少なくなかった。三沢は最大限の誠意を示す一方で、釘を刺すことも忘れなかった。それが先の言葉だ。「指名して獲るだけがスカウトの仕事じゃない。プロの心構えを説くのも大事な仕事。スカウトには入団後も彼らを見守り続ける義務がある」。ドラフトはゴールではなく、あくまでもスタートだと。選手にとっても、スカウトにとっても…。

 

<この原稿は17年10月25日付『スポーツニッポン』に掲載されています>


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