監督という仕事にとって、もっとも必要な資質とはなんだろうか。

 

 答えはむろんひとつではないし、人によって、チームによって、競技によって、そして時代によって、求められるものは変わっていくだろう。とはいえ、中には普遍的な要素もあって、たとえば、きょうのドラフト会議で話題の中心となる選手のお父さんから聞いた言葉は、わたしが監督の能力を判断する上でのひとつの指針になっている。

 

「監督の仕事っていうのは、選手を説得することじゃない。納得させることですよ」

 

 塗り潰す、のではなく、染めあげる。一党独裁の国ではおよそ馴染まない考え方だろうが、確かに、状況に応じて選手個人が判断を下さなければならないスポーツの場合、上から押しつけられた価値観による判断と、自分も信じている価値観による判断では、その柔軟性や多様性、信念の度合いに大きな違いが出てくるのだろう。そして、サッカーにせよラグビーにせよ、共産主義国家がW杯で優勝したことは、ただの一度も、ない。

 

 では、選手を納得させる言葉やオーラを持った監督であれば、それで申し分ないのか、というと、一概にそうともいえないのが監督業の難しく面白いところである。

 

 たとえば浦和を解雇されたペトロヴィッチ。そのサッカー理論に心酔する選手や指導者は多く、また、広島の土台をつくったのが彼であることに異を唱える方はほとんどいないはずだ。

 

 たとえば、今季はJ2名古屋で指揮をとる風間八宏監督。さえない中堅チームだった川崎FがJでも屈指の魅力的なチームに変貌したのは、間違いなく彼の功績である。ペトロヴィッチ同様に、いや、ひょっとしたらそれ以上に、そのやり方、指導法に魅了されているサッカー人、メディアは数多くいる。

 

 だが、広島を優勝に導いたのは、ペトロヴィッチではなく森保一だった。いま、首位を猛追している川崎Fを率いているのは、風間の右腕だった鬼木達である。

 

 おそらく、森保にしても鬼木にしても、自分がペトロヴィッチや風間よりも優秀だなどとは、微塵も思っていないはずである。にもかかわらず、結果では“師”を上回る――。

 

 成功体験を積み重ねることで、人生経験を重ねることで、そして時には先達から学ぶことで、他人を納得させる能力はある程度身につけることができる。たいていの患者は、インターンあがりの若い医師より、ベテラン医師の言葉に安心感を覚えるものだからだ。

 

 だが、勝ち運、幸運を味方にするためにはどうしたらいいのか。

 

 答えは、誰にもわからない。

 

 ブラジルでは、勝ち運に見放された選手、監督のことを「冷たい足」と表現するが、足を温めるためにはどうするべきかという話を、わたしは聞いたことがない。

 

 欧米に信仰心の強い選手が多い理由、日本で改名に踏み切る選手が多い理由が、最近、ちょっとわかってきたような気がする。

 

<この原稿は17年10月26日付『スポーツニッポン』に掲載されています>


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