二宮清純: 現在、東京パラリンピック出場に向けてトレーニングを積んでいるということですが、体力的な衰えを感じることは?
初瀬勇輔: 痛めたところがなかなか治りにくいのは少しあるかもしれません。でも体力や回復力以上に、これから積み上げられるところはたくさんあると思っています。練習環境もこれまでとは比べられないほど恵まれてきています。NTC(ナショナルトレーニングセンター)も使えるようになってきましたし、医科学サポートもあると考えると、まだまだ強くなれると感じています。

 

二宮: 3年後の東京パラリンピックを集大成に考えていると?
初瀬: 2020年はちょうど40歳の年になります。気持ち的にはとりあえず東京。その先だと7年後のことなので、今からでは考えにくいですね。

 

伊藤数子: 現在はどの点を強化しているのでしょうか?
初瀬: トレーニングジムには月7回通っています。ちょっとずつパワーもついてきていて、3年後にはかなり強くなっていると、手応えを感じています。

 

伊藤: ロンドン、リオデジャネイロと惜しくもパラリンピック出場を逃して、その間に引退を意識したことはありませんでしたか?
初瀬: 考えなかったですね。もし北京でメダルを獲っていたら、"もういいかな"と思っていたかもしれませんが、今は"もう1回、パラリンピックに出たい"という気持ちの方が強いです。

 

 壁や偏見を壊す役割

 

二宮: 次のパラリンピックは3年後、東京でパラリンピックが開催されます。これを契機に社会を変えようという動きもありますが、初瀬選手が望むことは?

初瀬: まずは駅のホームドア設置です。視覚障害のある方の転落事故も最近聞かれますが、子どもがホームで走っていて危ないと感じることもあります。当然、設置費用はかかりますが、ホームドアがあれば防げる事故です。これはすぐにでも進めてほしいですね。日本中のビルにある段差をなくすことは難しい。優先事項として、まずは駅などの交通面で配慮してもらえるとうれしいです。

 

二宮: ソフト面ではいかがですか?
初瀬: まちでの声掛けが多くなるといいなと思っています。知り合いの車いすユーザーが観光地で段差を登れなくて困っている時に手助けをしてくれたのは外国の方だったんです。外国の方は日本人と違って声を掛けるのに抵抗がないんでしょうね。日本の方々もそうなってくれるといいですね。

 

伊藤: 共生社会をつくるために、日本でパラリンピック開催する意義は大きいと?
初瀬: はい。東京パラリンピックの役目は障がいのある人を日本中が知る機会になることだと思っています。今の日本では障害者と健常者が分けられていると感じます。その壁がパラリンピックというイベントでなくなればいい。例えば義足のジャンパーが走り幅跳びで8メートル以上を跳んだり、全盲のランナーが100メートルを10秒台で走れたら、カッコいいじゃないですか。アスリートの活躍によって、社会の偏見や固定概念を壊すのがパラリンピックの役割だと思うんです。そうすれば、まちの中で障害のある人への見方も変わる気がします。言い方は悪いですが、今はまだ「別の生き物」を見る様な目を向ける人も少なくないんです。

 

 障害者雇用のきっかけに

 

二宮: パラアスリートの活躍は障害者雇用にもつながりますよね。
初瀬: そう思います。例えば、視覚障害者がどんな仕事をしているのか知らないと、視覚に障害のある人はその選択肢すら見出せない。僕自身、目が悪くなった時にある人に相談したら「大学を辞めてマッサージ師になりなさい」と勧められたこともあって、マッサージ師という進路しか知らなかった時期もあります。いろいろなパラアスリートが世の中で活躍することで、障害のある人たちの選択肢も広がる。さらには社会が障害のある人に対する理解を深めるきっかけにもなると思うんです。その意味で今はチャンスなのではないかと考えています。

 

二宮: チャンスとは?
初瀬: 現在、パラアスリートは多くの企業に入社することができています。企業によっては障害者を初めて雇用したところもあるでしょう。例えば、ある企業が、車いすのアスリートを雇ったことで車いすユーザーに対する理解が進むはずです。それが車いすユーザーの雇用促進に繋がると思うんです。まずは企業や社会に障害者への理解を広めていくことも僕らが果たすべき役割だと思っています。

 

二宮: その意味でオリンピック・パラリンピック開催は最大のチャンスですね。
初瀬: 最大のチャンスですし、僕が生きているうちは最後のチャンスかもしれません(笑)。

 

二宮: 人生の大勝負ですね。メダルを獲れれば、発言力も増すでしょう。
初瀬: そうですね。メダルを獲って、発言力をつけたいです(笑)。

 

二宮: ご活躍、楽しみにしています!
初瀬: 東京に向けて、社会を変えると同時に僕自身も出場できるように頑張っていきたいと思います!

 

(おわり)

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初瀬勇輔(はつせ・ゆうすけ)プロフィール>
1980年11月28日、長崎県生まれ。法律家を目指していたが、中央大学在学中に緑内障により視覚障害を持つ。2005年、中学・高校で柔道に打ち込んでいたこともあり、視覚障害者柔道を始める。その年の全日本視覚障害者柔道大会男子90キロ級で優勝。同級で2008年北京パラリンピック出場を果たす。2010年には広州アジアパラ競技大会で金メダルを獲得した。2011年に独立、株式会社ユニバーサルスタイルを設立した。現役を続けながら、日本パラリンピアンズ協会、日本視覚障害者柔道連盟、全日本パラテコンドー協会の理事も務める。株式会社ユニバーサルスタイル代表取締役。


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