絶対に、絶対にしてはならないのは、選手が、メディアが、ファンが、この試合の内容に満足し、肯定的な評価を下してしまうこと、だと思う。

 

 ブラジル戦に比べればまともな内容であったことは間違いない。特に、立ち上がりの入り方には、明らかに4日前の反省が生かされていた。

 

 だが、それはあくまでもブラジル戦に比べて、の話である。

 

「負けには値しない内容だった」と試合後のハリルホジッチ監督は言った。わたしもそう思う。ただし、勝ちにはまったく値しない内容だったことも忘れてはならない。守備陣の健闘は光った。初代表だった長澤の頑張りは見事だった。ただ、それはあくまでも「善戦」を目標とした場合のとらえ方である。

 

 これが4年前だったらどうだっただろう。賛否両論はあったものの、あの時、本田圭佑は世界一になることを目標として掲げていた。かくも大きな志を抱いたチームが、「たかが」世界5位のチームを圧倒できなかった――そんな見方をする人もいたはずだ。日本の実力を考えればいささか荒唐無稽な見方ではあるが、しかし、強くなるためには必要な見方だとわたしは思う。戦後の焼け野原の中、決して少なくない日本企業が「世界一」を目指したように、である。世界中の誰もが諦めてしまう状況であっても、上を目指すことができるのは、日本人の大いなる武器だったはずだ。

 

 後半途中までベルギーと0-0で進んだという内容に満足し、肯定することは、だから、日本代表とそれを取り巻く人たちの志が4年前よりも後退した、退化したことの証である。

 

 日本代表にとって、欧米列強と相まみえる機会は来年の3月までない。なのにどうして、先制点を奪われてからの選手には、死に物狂いで追いつこうという姿勢がみられなかったのだろう。親善試合だから? 重圧のない状況でできなかったこと、やらなかったことが、本番になればできると思っているのだろうか。

 

 そして、どうしてそんな選手たちに、監督は満足できるのだろう。

 

 志が、期待値が、そもそも低いからに他ならない。

 

 全国大会を目指すような強豪校と対戦した無名の公立高校が、大健闘をしたとしよう。「内容だったら、俺たちそんなに負けてなかったよな」。気持ちはわかる。わかるのだが、全国を目指すチームの選手からは絶対に出てこない類いの言葉でもある。

 

 ハリルホジッチ監督は、日本代表の選手は、ロシアで何を目指しているのだろう。

 

 ただ、彼らは幸運でもある。もし、今回の欧州遠征における試合の順番が逆になっていたら。つまり、ベルギーに惜敗し、ブラジルに惨敗するという順番だったとしたら――。

 

 ファンは激怒していた。監督の更迭論、選手の入れ替え論が噴出していただろう。ならば、彼らにはこの幸運を今後につなげてもらうしかない。

 

<この原稿は17年11月16日付『スポーツニッポン』に掲載されています>


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