毎年11月に行われる明治神宮野球大会で、北海道二連盟代表の星槎道都大が準優勝を飾りました。社会人野球や高校野球の全国大会で北海道のチームが優勝したことはありますが、大学はまだ全国制覇がありません。同大の山本文博監督は「来年、また鍛え直して神宮に帰ってきたい」と語りました。北の大地で大学野球の発展に尽くす山本監督に、「北海道の野球の今」について伺いました。

 

 逸材は本州の大学へ……

 今回、神宮大会は2年ぶり6度目の出場でした。過去、1勝もしていないので、大会前の目標は「初勝利」。でもトーナメントが始まってみたら、決勝まで勝ち進んで準優勝ですから、選手の頑張りを褒めてやりたいですね。

 

 エースは3年生の福田俊。彼は北海道出身で両親の仕事の関係で神奈川県へ引っ越し、高校は横浜創学館でした。大学進学にあたって再び故郷に戻り、うちに入りました。彼は身長170センチと小柄な方で甲子園出場経験もありませんが、左投げのパワーピッチャーでプロのスカウトも注目する逸材です。ただ入部当初は右足を一塁側に踏み出す、いわゆるインステップで、ふんぞり返るような投げ方でした。上体の強さは目立っていましたが、コントロールが悪かったんですね。

 

 それで右足を真っ直ぐにキャッチャーの方に踏み出すようにフォームを修正して、さらに下半身強化メニューもやらせました。このフォーム修正と下半身強化によってコントロールもよくなり、低めのボールに伸びがでましたね。

 

 まあ下半身トレーニングはきつかったでしょうが、ひとりでバーベルを抱えて黙々とやっていた姿が印象に残っています。福田に限らず、うちの選手はほとんどが道内出身で甲子園出場経験がない。その分、野球に対して真剣に取り組むし、言うことも素直に聞くんですよ。これが道産子野球の強みだと思っています。

 

 神宮大会初戦は創価大(関東五連盟第二代表)に1対0。福田が11三振を奪う好投で、完封勝利を飾りました。続く2戦目は環太平洋大(中国・四国三連盟代表)が相手でしたが、向こうの監督は野村昭彦。駒澤大の後輩です。初回、いきなりダブルスチールを仕掛けられたときには「やられた!」と思いましたよ。これぞ駒大野球だという攻めでしたが、ホームで三走を刺せたのがラッキーでしたね。10対2で勝って、決勝は日体大(関東五連盟第一代表)と戦いました。

 

 3連投になった福田は4回まで0点で凌いでいましたが、5回1死一塁から被弾。代えようかどうかと迷っているところだったので、選手は責められません。0対3で敗れましたが、点差以上に日体大は強く、力負けです。私も選手も決勝に進んだことで満足という気持ちもあったんでしょうね。また来年、ここに帰ってきたいです。目標はもちろん優勝ですよ。

 

 北海道の大学は雪という気象ハンディもありますが、何よりも選手のスカウティングが難しいんです。道内の高校の有望選手はほとんどが本州の大学にもっていかれてしまう。ただその分、地元選手を中心にした編成でここまでやれるんだ、ということで関係者に勇気を与えられたんじゃないでしょうか。

 

 星槎道都大野球部のスローガンは「メイク・ニュー・ヒストリー」です。今回、決勝まで進み新しい歴史が作れました。もちろん来年は北海道の大学として初の日本一になって、歴史に星槎道都大の名を刻みたいですね。

 

山本文博(やまもと・ふみひろ)プロフィール
1955年8月26日、愛媛県出身。1974年、県立八幡浜高校卒業後、駒澤大学に進学。野球部に入り強打の内野手として活躍。1学年下の石毛宏典(元西武など)と二遊間コンビを組み、大学時代はリーグ優勝6回、日本一2回。4年の春季・秋季連続首位打者を獲得。ベストナイン2回、日米大学野球にも出場した。卒業後は旧北海道拓殖銀行に入行し野球部で活躍。11年連続で都市対抗本大会出場(補強選手6回含む)し、78年、若獅子賞受賞。全国ベストナイン1回、道内ベストナイン6回。2000年、室蘭大谷高校の野球部監督に就任し、05年から道都大学(現星槎道都大)硬式野球部監督を務める。春季リーグ優勝6回、秋季リーグ優勝7回。神宮野球大会は6回出場し、今年(17年)準優勝を飾った。


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