そこかい! とまず思った。

 

 こらあかん、末期症状や、とも思った。

 

 20日付のスポニチに載った「新聞評論に反論 ハリル監督場外デュエル」という記事を読んでのことである。

 

「佐々木(則夫)氏は評論で“相手の出方を見て4-3-3(のシステム)を4-4-2に変更したりして、個々の選手がマッチアップしやすくするなどの方法がある。ベンチの指示もなく、受け身のままだった”と指摘。これに対してハリルホジッチ監督は“私は(後半)2トップの4-4-2にしている。真実ではない批判”と応じた」

 

 あの、佐々木氏が批判しているのは、システム云々ではなく、腰が抜けるほど情けなかった戦いそのものについて、だと思うのですが。そして、あまりにもひどすぎた前半の戦いを、ベンチが容認しているように「見えた」ところだとも思うのですが。まさか、4-4-2で戦ったのだから、内容や結果を批判される筋合いはない、とでも?

 

 同じく評論する側の人間がこんなことを言っては身も蓋もないが、監督たるもの、外野の声など馬耳東風を決め込んでいればいいのである。あるいは、逆にそれを利用するか。

 

「こんなことを言わせておいていいのか。これは我々に対する侮辱だ。次の試合で黙らせてやれ!」とでも選手を煽ったりして。そして、実際にそうしていたのがトルシエだった。

 

 監督の仕事は結果を出すこと。そのためであれば何をしてもかまわないとわたしは思うが、今回の反論が今後の結果につながるとは到底思えない。ハリル監督の余裕のなさが如実に表れたようで。

 

 ただ、ハリル監督が佐々木氏を「評論家」としてではなく「監督の同業者」と見ていたとすると、ほんの少し、話は変わってくる。

 

 監督業とは、突き詰めていけば主義をぶつけあうことである。理想主義、現実主義、攻撃至上主義、守備第一主義、保持率優先主義、カウンター優位主義……監督の数だけ主義があり、欧米のメディアではそれぞれの監督が共感と反発を公然と口にしている。

 

 だが、Jリーグが発足して四半世紀がたったいまも、日本は監督同士による論争がほとんど起きていない。プロ野球では時々見られる監督による監督への批判も、当分は起こりそうにない。

 

 わたしは、それが不満だった。

 

 そもそも、佐々木氏がなでしこでやったサッカーと、ハリル監督がいまやろうとしているサッカーは、グアルディオラとモウリーニョ以上に水と油である。一方の見方にもう一方が納得することの方がおかしい。

 

 なので、この際ハリル監督には、自分以外の「主義」に片っ端から噛みついていただきたい。そして、主義を持つ人間同士の“場外デュエル”がエンタメとして成立するということを、広く知らしめていただきたい。

 

 W杯がどんな結果に終わろうとも、きっと、功績として残るはずだから。

 

<この原稿は17年12月21日付『スポーツニッポン』に掲載されています>


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