二宮清純: 大日方さんはパラリンピック5大会に出場しています。その経験から平昌パラリンピックをどのように見ていますか?

大日方邦子: 平昌に関しては、おそらく日本選手が活躍してオリンピックは盛り上がると思うんです。オリンピックの盛り上がりをパラリンピックまでうまく持続させることができればいいですね。例えば2010年のバンクーバーには「オリンピックとパラリンピックを一緒にやっていこう」という成熟した国が開催した大会だと感じました。

 

二宮: 世界ではまだテロが相次いで起きていています。

大日方: 前回のソチ大会では、オリンピックが終わった後、パラリンピックが始まる前にロシアがクリミア自治共和国に侵攻しています。私は平昌パラリンピックで、同様のことが起きてほしくないんです。オリンピックは平和の祭典で、「大会期間中は休戦を」と古くから言われています。オリンピック・パラリンピックをひとつの組織委員会でやるのですから、「オリンピック、そして、パラリンピックを休戦の期間に」と世界的にもアピールする意義があるだろうと思っています。

 

二宮: 確かにパラリンピックでは、休戦協定の話はあまり聞こえてきませんもんね。

大日方: 本来はパラリンピックも、平和を願う祭典です。多くの戦争によって傷ついた人たちが、リハビリを目的として社会復帰をすることに始まりました。平和への思いをパラリンピックの関係者たちは強く持っています。

 

伊藤数子: 北朝鮮との関係も予断を許しません。このような時期に平昌オリンピック・パラリンピックが開催されることは、かなり意義深いものになりそうですね。

大日方: はい。オリンピック開幕1週間前の2月2日からパラリンピック閉幕1週間後の3月25日まで休戦を守っていただきたいですね。大切なのはIOC(国際オリンピック委員会)とIPC(国際パラリンピック委員会)、国連、そしてアスリートやメディアなど関係する全ての人たちが連携してやることだと思います。緊迫した政治的局面だからこそ、そういった活動が必要だと思います。

 

 国境を越えた繋がり

 

二宮: 大日方さんはこれまで現役時代を含め、いろいろな国の選手やスタッフとの交流があったと思います。

大日方: はい。特にスキー競技は、シーズン中道具を持って世界中を転戦するので、パラリンピックの選手はもちろんですが、海外のオリンピック選手たちとも距離感が近いんです。日本の選手は今年の夏にチリへ行きましたが、ノルウェーのオリンピック選手たちと同じコースで練習していたと聞きました。ワールドカップは別々に行われていますが、雪上でのトレーニングコースでは、オリンピックとパラリンピックの距離感は近いんです。

 

伊藤: スキーで合宿できるところは限られてきます。ツアーも一緒に回ったりするので、世界中の選手たちと交流が深くなるのですね。

大日方: 同じ釜の飯を食うという感じですね。ワールドカップサーキットでは、結局、同じホテルに泊まって、同じゲレンデで練習をする。移動のタイミングも一緒ですから。

 

二宮: 文字通り、呉越同舟ですね。

大日方: そうですね。以前日本のコーチからこんなことを聞きました。アルプスの氷河が雪崩で崩れそうで、道が閉鎖されるかもしれないという情報をある国のチームが得てそれをほかのチームに伝えてくれて、みんなで大脱出したことがあったそうです。道路を寸断されてしまうと、救出までに時間がかかりますから。オフィシャルな情報が流れてくる前に、各国とのネットワークで貴重な情報を知ることができた。そういう国を越えた繋がりがあるのは、スキー競技のとてもいいところだと思います。スポーツを通じた国際交流ができる。それが魅力であり、スポーツの存在価値と言えるのではないでしょうか。

 

(第4回につづく)

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大日方邦子(おびなた・くにこ)プロフィール>

1972年4月16日、東京都生まれ。3歳の時に交通事故で右足を切断、左足にも後遺症が残る。高校2年の時にチェアスキーと出合い、1994年リレハンメルパラリンピックに出場。1998年の長野大会では滑降で日本人初の金メダルに輝いた。2010年のバンクーバーまで5大会連続で出場し、計10個のメダルを獲得した。1996年にNHKに入局。2007年6月からは電通PRに勤務。2010年9月に代表チームからの引退を表明後は、後進の指導に当たる。日本パラリンピアンズ協会の副会長、日本障害者スキー連盟常任理事(アルペンGM)などを務め、競技普及に携わっている。2013年には2020年東京オリンピック・パラリンピックの招致活動にも関わった。今年6月に平昌パラリンピック日本選手団団長、11月には日本障がい者スポーツ協会理事に就任した。


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