立ち合いで相手の頬を張り、ひるんだすきに自らの有利な差し手に持ち込む裏技を“張り差し”という。

 

 

 横綱・白鵬は、しばしばこの技を用いる。

 

 以下は石原慎太郎のツイート(11月23日)だ。

 

<横綱白鵬常套手段の張り差しは横綱の品格を損なうものだ。彼が憧れていると言う双葉山は張り手などしたことは絶対になかった。横綱は何してでも勝てばいいと言うものでは絶対にない。最高者の品位の問題だ。>

 

 別に横綱のみが張り差しを禁じられているわけではない。だが横綱がこれをやると、得も言われぬ後味の悪さが残る。

 

<横綱とは、単なる大相撲のチャンピオンではありません。>

 

 自著、『貴流 心氣体』(扶桑社)で貴乃花親方は、そう書いている。

 

<よく「横綱の品格」といわれますが、横綱には横綱の威厳があるし、相撲の取り方があります。

 

「横綱は横綱らしい相撲を取り、美しい勝ち方をしなければならない」

 

 これは、現役時代も引退後も変わらぬ、私の考えです。>

 

 張り差しについては、さらに手厳しい。

 

<たとえば、立ち合いで相手の頬を張ってからまわしをとる「張り差し」という戦法があります。出会い頭に張り手をするという行為は、礼儀を重んじる大相撲にふさわしくありませんし、私には横綱の戦法とは思えません。「卑怯な勝ち方」「汚い勝ち方」と評されても仕方ないのです。>

 

 正直に言えば、私は「品格」という言葉があまり好きではない。そもそも「品格」を計るモノサシなど存在しないからである。せめて「卑怯なことはするな」程度でいいのではないだろうか。

 

 しかし、ルール違反ではないからと言って横綱が目の前の白星欲しさに相手の頬を張るシーンは、やはり見ていて気持ちのいいものではない。幕内優勝40回を誇る大横綱ともなれば、なおさらだ。

 

<美しく、潔く戦うことこそ、自分を育ててくれた土俵と切磋琢磨してきた同志に対する礼儀だと思うのです。>

 

 大相撲の横綱は、どこまでいっても横綱であり、チャンピオンではない。だが、それを言葉で説明するのは容易ではない。

 

 相撲観の違い、と言ってしまえばそこまでだが、それは稽古を通じて師匠から教わるものではなく、受け継ぐものだと貴乃花親方は考えているようだ。無形の遺伝子だ。

 

 相撲原理主義者の懊悩は、いよいよ深い。

 

<この原稿は『サンデー毎日』2017年12月22日号に掲載されたものです>

 


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