ドイツ2部ウニオン・ベルリンから“ウッチー”こと内田篤人が鹿島アントラーズに復帰した。ドイツ1部のシャルケに移籍したのが2010年南アフリカワールドカップ(W杯)後。実に7年半ぶりの“帰還”となる。

 

 15年6月に右ひざを手術して以降、トップパフォーマンスに戻るまでに時間が掛かっているのは確かだ。17年夏に愛着あるシャルケから離れてウニオンへ移籍したものの、ケガなどもあって出場機会に恵まれていない。背番号2を空けて待ち続けている古巣・鹿島が、この状況を放っておくわけがなかった。

 

 鹿島は過去にも柳沢敦、鈴木隆行、小笠原満男、中田浩二とクラブから欧州に飛び出した選手たちを呼び戻してきた。内田自身もオフには必ずと言っていいほど鹿島のクラブハウスを訪れるなど、アントラーズファミリーとして強い絆で結ばれている。

 

 29歳の内田はJ1通算124試合、国際Aマッチ通算74試合、ドイツ1部通算104試合出場と実に経験豊富。鹿島では07~09年のリーグ3連覇に大きく貢献し、日本代表では10年の南アフリカW杯、14年のブラジルW杯メンバーに選出された。シャルケでもサポーターから支持され、欧州チャンピオンズリーグ31試合出場(プレーオフを含む)を誇る。

 

“ジーコイズム”を刻みつけ、日本代表の誇りを持ち、そして欧州でも第一線で働いてきた経験値は、鹿嶋の若手たちの良き教材となることは間違いない。小笠原満男、曽ケ端準という大ベテランはいるものの、彼らを引き継ぐリーダーとしても期待が集まる。

 

 “リーダー内田”をぜひ見たい。

現在、鹿島のディフェンス陣をけん引する昌子源が15年3月のウズベキスタン戦で日本代表デビューを果たした際、内田にフォローしてもらったそうだ。

 

 彼は感謝の意をこめてこう語った。

「篤人さんは僕のことを気に掛けてくれました。ロッカーの位置はお互い遠かったんですけど、わざわざ僕のところまで来てくれて"困ったら全部、俺にボールを出せ。敵がいても、何とかするから〟って。篤人さんや(酒井)高徳くんもそうですけど、招集されても今まで出られなかった自分のことを気に掛けてくれていた先輩たちのおかげで一気に体が軽くなったんです」

 

 実際、昌子のプレー内容は良かった。

 鹿島とハリルジャパンでは求められる役割が違うが、スムーズにこなしていた。センターバックは基本的に出ていかず、中央でガッチリと固めておくというのが代表のスタンスだ。鹿島との違いから、前半は体が勝手に反応して前に行きそうなるシーンもあった。そんなときには必ずと言っていいほど、内田から「ゲン!」と呼び止める声があった。この声が後輩を冷静にさせていたのだった。

 

 内田が復調すれば、当然ロシアW杯メンバーの候補に挙がってくる。

 前回のブラジルW杯では、安定したいつもの内田らしい冷静なプレーが光った。初戦のコートジボワール戦。1-2の場面ではカウンターで3失点目の危機にさらされる中、自陣まで戻ってスライディングでパスカットしてチームを助けている。相手との駆け引きのうまさは、さすがだった。

 

 内田はベースキャンプ地のイトゥでこんなことを語っていた。

「自分は、人のために頑張ったほうが、頑張れるような気がするんです。今まではチームのためもありますが、自分のためというか。ケガをして、サポートしてもらっているのがひしひしと伝わってきて……それは考えつかなかったこと。ケガしていいとは思わなかったけど、サポートしてくれる人がいるんだってこの右足を見て思えるのは、無駄じゃなかったんじゃないかって」

 

 W杯イヤーに入った14年2月に右太もも裏を負傷して以降、離脱が続いた。復帰に向けて労力を注いでくれた周囲のスタッフに対する感謝の気持ちを強く持って、彼はピッチに立っていた。

 

 人のために頑張れる。

 鹿島の17年シーズンは、結局無冠に終わった。終盤に失速して川崎フロンターレに優勝を奪われたショックは大きいはずだ。日本代表も、東アジアE-1選手権で韓国に大敗を喫するなど流れが良いわけではない。

 

 鹿島のために、日本代表のために頑張れる男。

 内田篤人の日本復帰は、今年最初のビッグニュースとなった。


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