二宮清純: この人と飲みたい、引き続き元プロ野球選手の"デーブ"こと大久保博元さんとお送りします。
大久保博元 よろしくお願いします。


二宮: さて、デーブさんも毎晩飲んでいる本格芋焼酎『木挽BLUE』、今宵のお味は?

大久保  おかわりもいただいて良い気分です。『木挽BLUE』は水割りにしても味も香りもきちんと残っているから、いつもどおりクイクイッといけますね。

 

二宮: それにしても、こちらのお肉はおいしいですね。
大久保 うちの店(肉蔵でーぶ)は日本中のうまいメニューを集めています。大いに食べて飲みましょう!

 

二宮: 『木挽BLUE』は肉料理にも何にでも合うと評判です。
大久保 肉と一緒ならガツンとロックで飲むのも良さそうです。

 

 

 

 

 

 巨人・藤田監督のカミナリ

二宮: 前回は西武時代のことをうかがいました。入団8年目の92年5月、巨人へのトレードが決まったときは、どんな気分でしたか?
大久保 根本(陸夫・球団管理部長)のオヤジにいつも「トレードに出してください」とお願いしては怒られていました。トレードが決まったときはオヤジから家に電話があり、「話があるから今から来い。トレードだ」と。

 

二宮: 電話でトレード先は?
大久保 言われないまま、すぐに球団事務所に飛んで行ったらスカウト部長の毒島章一さんがいて「行き先はオヤジから聞け」って。根本のオヤジには本当に怒られたことしかなかったんですけど、そのときに初めて褒められたんですよ。

 

二宮: へェ~。
大久保 「お前もよくやった。よく我慢した。もう森(祇晶・監督)の下で生きる道はないから、巨人に行け」「えっ! 巨人っ!!」。そのときに初めて移籍先が巨人だと知りました。

 

二宮: レギュラーとして出番がなかったものの、西武を出る寂しさもあったのでは?
大久保 トレードが決まった後、2軍の試合に出て最後の打席でホームランを打ったんですよ。試合後は胴上げされて、トレードされる選手が胴上げというのも珍しいんですけど、「あんなに出たい出たいと言ってたのに、こんなにも寂しいものか」と思いましたね。

 

二宮: 根本さんからは他に言葉は?
大久保 トレード通告後、オヤジの家に呼ばれて、そこで言われました。「お前は西武のドラ1なんだ。巨人に行ってダメだったら戻って来ればいいんだ。だから安心してやってこい」と。それが巨人で活躍できた一番の要因でしたね。

 

二宮: 巨人に移って1年目で15本塁打。翌年も二桁本塁打(10本)、3年目の94年は西武との日本シリーズで9回に代打で出場し、同点ホームランを放ちました。その試合を私は現地で取材していましたが、通路で「森のばかやろー! 見返してやったぞ!」ってデーブさんの叫び声が聞こえたんですよ。興奮状態だったから覚えてないかもしれないですけど。
大久保 そう言ったかどうかの記憶はないですけど、確かに「やってやる、見返してやる」という気持ちはいつもありました。

 

二宮: この恨み晴らさでおくべきか……って。
大久保 いやいや、怪談じゃないんですから(笑)。本当に森さんにはなんの恨みもありません。伊東勤さんをレギュラーで使うのは当然の采配です。西武に入って6年目の正月に決めたんですよ。「言い訳をしない、嘘をつかない、人のせいにしない。森さんが使ってくれないから試合に出られない、こう思うのはやめよう」と。だからその同点ホームランを打った後の叫びは個人的な感情ではなく、プロ野球選手として「どうだ!」って気分だったんでしょうね。

 

二宮: 移籍当初、巨人の監督は藤田元司さんでした。藤田さんは温厚そうな外観とは裏腹に、内面は熱い方ですよね。
大久保 あの人も根本のオヤジとともに、お世話になった恩人です。かわいがってもらいました。まあ、めちゃくちゃ怖かったですけどね。

 

二宮: 藤田さんには瞬間湯沸かし器の異名がありました。一番、怒られたのは?
大久保 いっぱいありますけど、92年に荻原満さんが1軍に上がってきたときのことです。

 

二宮: 荻原さんというと、88年に東海大からドラフト外で入団したサウスポーですね。
大久保 はい。シンカーがよくて1軍に上がってきたんですけど、そのシンカーがまったくストライクゾーンに来ない。だからリードしようにも「どうしよう」という状態で、まっすぐとスライダーだけで組み立てたら滅多打ちをくらいました。

 

二宮: それで藤田さん、激怒ですか?
大久保 ベンチに戻ったら、いきなり「デーブ、こっちに来いっ!」ですよ。

 

二宮: 相当な迫力だったでしょう。

大久保 震え上がりましたよ。「荻原のいいボールはなんだ?」「シンカーです」「なんで使わないんだ!」って。藤田さんもストライクが入らないのはわかっているんですけど、「なんでシンカーを最後まで使わない! お前のそのリードが荻原を殺すんだぞ! 藤田(浩雅)と交代だ! お前はずっと藤田のリードをここで勉強しろ!」と言われて、トイレにも行けずにずーっと座ったままでしたよ。でも藤田さんがすごいのは翌日にはそんなことがあったことも忘れて、「デーブ、元気かー。今日も頼むぞー」って。

 

二宮: さっぱりとした気質の方でしたよね。
大久保 ですね。僕は母子家庭だったから、ずっと根本さんをオヤジのように思ってた。それで99年に根本さんが亡くなって、「ああ、父親いなくなっちゃったな……」となって、それからは藤田さんが僕にとっての「オヤジ」でした。まあ、「オヤジ」って呼んだことはなくて、ずっと「監督」でしたけど。

 

二宮: その藤田さんも06年に亡くなりましたね。
大久保 あのときはご自宅に弔問に伺ったんですが、号泣しました。「あぁ、これでオヤジと呼べる人は世の中にいなくなったな……」と思うと寂しかったですね。

 

 星野監督の跡を継ぐ

二宮: 藤田さんの後は長嶋茂雄さんが監督になりました。やはりデーブさんは巨人で花開いた印象ですね。
大久保 そうですね。

 

二宮: 西武から巨人、パ・リーグからセ・リーグに移籍してやりにくくはなかった?
大久保 ないですね。それだけ西武のレベルが高かったのでしょう。西武で受けた教育は全部、「やる」か「やらないか」だったんですよ。たとえばバントシフト、西武は「シフトをとるならとる、とらないならとらない」というゼロか100。巨人はそれに加えて「やってきたらやってきたで対応しなさい」というサインがあった。なんだよ、そんなのいらねーだろ、っていうのが正直な思いでした。

 

二宮: キャッチャーの立場から両リーグの違いは?
大久保 パ・リーグはDH制があって強打の外国人がいたから、インコースをビシビシ攻めないと抑えられなかった。配球の割合でいうとインコースの方が多かったくらいですよ。だから投手陣は普段からインコースに投げ込む練習をしていた。セ・リーグは「はい、ここ」とアウトコースを要求してそこに決まれば「ナイスピー」っていう、自己満足な感じはありましたね。

 

二宮: インコースを攻める分、デッドボールも多かった。昔のパ・リーグはしょっちゅう乱闘やってましたね。
大久保 トンビさん(東尾修)なんて毎回、外国人とケンカしてたんじゃないですかね(笑)。そういうところでもレベルの違いを感じましたし、西武を出てから野球で気後れすることはなかったですね。

 

二宮: デーブさんは95年に現役を引退して、その後は指導者として東北楽天の監督も務めました。楽天の監督になった経緯は?
大久保 オヤジに言われたからです。

 

二宮: オヤジ?
大久保 星野(仙一)さんですよ。楽天時代、僕は仙台のホテル住まいでした。14年9月18日、シーズンも終盤になったときにホテルでテレビを見ていたら「星野監督退任」という速報テロップが流れた。「ウソだろ!?」という気持ちと同時に、ちょっといやな気がした。オレがやらされるんじゃないか、って……。

 

二宮: デーブさんは当時、2軍監督でした。
大久保 星野のオヤジにバッティングコーチとして呼ばれて、それが1年で2軍監督。それで退任とくれば、いやな予感しますよね。

 

二宮: 監督就任はいつ言われたんですか?
大久保 シーズンが終わって2軍は宮崎のフェニックスリーグに参加していました。10月14日朝、宿舎から球場に着いたら球団スタッフに「仙台に帰ってください」と言われました。そのときの気分は「来た来た、来ちゃったよ。赤紙が来ちゃったよ」でしたね。

 

二宮: 仙台に戻って星野さんと会った?
大久保 監督室にいた星野のオヤジに会ったら、いきなり「おめでとう」って。「いやいや、何がですか?」ととぼけたけど、「お前が監督だ」と言われました。星野さんは球団に残らないという噂があったんですよ。星野さんが残らないなら僕もやらない。残るなら引き受ける。そう思って星野さんに「オヤジはどうするんですか?」と聞いたら「わからん」とひと言。

 

二宮: 「わからん」では進路は決められませんよね。
大久保 「じゃあ僕もわかりません。オヤジが辞めるなら僕も球団を辞めるし、残るのなら僕も考えさせてください」と。そうしたら「オレはじゃあ残る」「ではオヤジ、監督を引き受けさせてください。オヤジが監督をやれって言うんですよね?」「そうだ」「じゃあやります」と。それで決まったわけです。

 

二宮: 楽天はIT企業。西武や巨人との違いは?
大久保 楽天球団には戦略室という部門があって、そこが全てのデータを分析しています。得点能力とか、ピッチャーとバッターの相性とか、そういうものが数字で出てるんですよ。

 

二宮: ほうほう。
大久保 たとえば(ウィリー・モー)ペーニャを2番に入れたことがありますが、ペーニャには4番というイメージがある。でもそれはただのイメージであって、実は得点圏打率が1割だった。でもその一方で出塁率は4割以上あった。

 

二宮: あの外見からすると意外ですね。
大久保 それならペーニャを2番に入れて、得点圏打率の高い松井稼頭央をクリーンアップに入れた方が得点の可能性が高まるんじゃないか、と判断したんです。

 

二宮: なるほど。それはデータから導き出されたオーダーということですね。
大久保 そうです。しかもペーニャは元陸上部なので足も速い。だからエンドランを出しても大丈夫。そういう2番に置けるというデータが戦略室から僕らのところに来て、じゃあやってみましょうよ、と。

 

二宮: 三木谷浩史オーナーから采配について何か言われたことは?
大久保 ないです、ないです。三木谷さんからかかってきてたのはプライベートの電話くらいですよ。「ご飯行こうよー」みたいな。

 

 思い出のホームラン

二宮: 1シーズン、プロ野球の1軍監督をやってみてどうでしたか?
大久保 どの球団の監督もそうですけど、やはり監督は雇われ者なんですよ。「自分の野球ができない」とか言いますけど、そんなの当たり前。僕が一番に意識していたのは「自分の野球」ではなく「興行」でした。簡単に言えばホームで2勝1敗、敵地で1勝2敗で良いという考えでした。

 

二宮: まずは「ホームファースト」だと。
大久保 そうです。プロ野球は真剣勝負なんですけど、興行も意識しないと成り立たないよと思っていました。だから地元で負けていても、松井裕樹の登板を皆が求めているなら起用する。そういうのが僕は興行としてのプロ野球では大事だと思っていましたね。

 

二宮: もう一度、ユニホームを着ることは?
大久保 ないですね。

 

二宮: まったく?
大久保 ぜーんぜん、その気はありません。僕は組織の中に入るのは向いてないですよ。誰か大将の補佐を務めるというのならいいんですけど。あと、さっき言いましたがプロ野球の監督といっても、いわゆる雇われの身ですよ。「自分の野球を」なんて言っても、結局はオーナーの野球観があったらそれに従わざるを得ませんから。

 

二宮: 会社や飲食店を経営している方がやり甲斐がある?
大久保 そうですね。全部、自分で絵図を描くことができますから、責任も大きいけどめっちゃくちゃやり甲斐ありますよ。

 

二宮: このお店も全部、デーブさんがプロデュースしたとか?
大久保 もちろん。屋台っぽい雰囲気を出したくて、あと昭和レトロな感じを考えてトタンを張ったりしたんですよ。

 

二宮: メニュー選びも?
大久保 はい。メニューは今まで自分が遠征で食べて美味しかったものを再現しています。というか、現地のお店に頼んで仕入れ先が同じですから、そのままの味が楽しめます。

 

二宮: いや、大久保オーナー、見事な采配ですね。
大久保 でしょう(笑)。

 

二宮: では、最後にひとつ。デーブさんがこれまでで一番思い出に残ってる一打は?
大久保 92年の6月10日、広島市民球場の試合です。

 

二宮: 92年6月というと、巨人に移籍してまだ1カ月ですね。
大久保 そうです。9回表、巨人が1点ビハインドの場面で逆転の3ランが飛び出した。マウンドには広島の守護神、大野豊さん。あれは感動しましたね。

 

二宮: ん? デーブさんにそんなホームランありましたっけ?
大久保 ありましたよー。原辰徳さんの起死回生の一発ですよ。

 

二宮: ああ、あの! デーブさんが打ったホームランじゃないじゃないですか(笑)。
大久保 いや、思い出の一打っていうから(笑)。僕、あれをベンチ前で見ていて、めちゃくちゃ感動したんですよ。敵地なのに「うおぉー」ってすごい歓声が沸いて、これぞプロ野球だなあ、と。僕、泣いてたんじゃないですかね。

 

二宮: あははは。まさか思い出の一打で他人のホームランをあげるとは思いもしませんでした(笑)。
大久保 僕、プロ野球が大好きですから(笑)。

 

二宮: では、思い出のお酒は?
大久保 毎晩、飲んでるから、それが全部、思い出です。

 

二宮: では今夜も思い出づくりのために『木挽BLUE』、もっといかがですか。
大久保 いただきましょう! 夜は長いので水割りで。

 

二宮: お客さんも続々やってきてます。
大久保 じゃあ、僕、カウンターに入りますから、ごゆっくり。

(おわり)

 

<大久保博元(おおくぼ・ひろもと)プロフィール>
1967年2月1日、茨城県出身。水戸商時代、当時最多となる高校通算52本塁打を記録。84年秋、ドラフト会議で西武ライオンズから1位指名を受けてプロ入りを果たした。西武時代は正捕手・伊東勤の陰で主に代打での出場が多かったが、92年5月に中尾孝義とのトレードで巨人に移籍。村田真一と正捕手の座を争い、巨人在籍4年間で200試合に出場。95年、現役引退。プロ通算成績は打率2割4分9厘、41本塁打。引退後は解説者やデーブ大久保の名でタレントとしても活動した。08年、西武の1軍打撃コーチに就任。12年、東北楽天・1軍打撃コーチ、13年、同2軍監督、15年から星野仙一の退任に伴って楽天監督を務めたが1シーズンで退任。16年、東京・新橋に居酒屋「肉蔵でーぶ」を開業した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今回、大久保博元(デーブ大久保)さんと楽しんだお酒は芋焼酎「木挽BLUE(ブルー)」。宮崎の海 日向灘から採取した、雲海酒造独自の酵母【日向灘黒潮酵母】を使用し、宮崎・綾の日本有数の照葉樹林が生み出す清らかな水と南九州産の厳選された芋(黄金千貫)を原料に、綾蔵の熟練の蔵人達が丹精込めて造り上げました。芋焼酎なのにすっきりとしていて、ロックでも飲みやすい、爽やかな口当たりの本格芋焼酎です。

 

提供/雲海酒造株式会社

 

<対談協力>
肉蔵でーぶ
東京都港区新橋3-3-7 1F
TEL:03-3502-2245
営業時間: 11:30~14:00(昼営業は月~金)、17:00~0:00
定休日:日曜(日月連休の場合は日曜営業・月曜休)

 

☆プレゼント☆

 デーブ大久保さんの直筆サインボールを本格芋焼酎『木挽BLUE』(900ml、アルコール度数25度)とともに読者3名様にプレゼント致します。ご希望の方はこちらのメールフォームより、件名と本文の最初に「デーブ大久保さんのサインボール希望」と明記の上、下記クイズの答え、郵便番号、住所、氏名、年齢、連絡先(電話番号)を明記し、このコーナーへの感想や取り上げて欲しいゲストをお書き添えの上、お送りください。応募者多数の場合は抽選とし、当選発表は発送をもってかえさせていただきます。締切は18年2月8日(木)。たくさんのご応募お待ちしております。なお、ご応募は20歳以上の方に限らせていただきます。

 

◎クイズ◎

 今回、デーブ大久保(大久保博元)さんと楽しんだお酒の名前は?

 

 

 お酒は20歳になってから。

 お酒は楽しく適量を。

 飲酒運転は絶対にやめましょう。

 妊娠中や授乳期の飲酒はお控えください。


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