2014年4月、河野祐斗は鳴門高校から東京六大学野球リーグに所属する明治大学に進学した。入学に至る経緯を鳴門高野球部・森脇稔監督が説明する。

「ちょうどその時は明大がショート、内野手を求めていたんです。それもあって河野が高校2年の時から目をかけていただいていました。体は小さいですけど、本当に元気のある子だったので“明治タイプかな”という思いもあり、頑張ればやっていけるかもしれないということで私も推薦しました」

 

 一方の河野にとって、自身に向けられた注目は喜びであった。それとともに、未知の世界への扉でもあった。「自分はあまり大学野球のことがわかりませんでした。東京六大学野球と言われても、見たこともなかった。どういうレベルでやっているのかも全然わからないまま、明大から声をかけられているという話を監督から聞きました。それで3年生の時の8月下旬にセレクションを受けました。その時点で進学をほぼほぼ決めていました。ただ、決め手となったのは、先輩方や一緒に入ってくる同級生たちのレベルの高さです。それを見て、“ここでやりたい”と思いました」

 

 河野が入学した当時の明大野球部は近年でもとりわけ層が厚く、“プロ予備軍”の様相を呈していた。4年生には主戦エースの山崎福也(オリックス)、糸原健斗(JX-ENEOS→阪神)、3年生には大型左腕の上原健太(北海道日本ハム)、髙山俊(阪神)、菅野剛士(日立製作所→千葉ロッテ)、坂本誠志郎(阪神)、2年生には後にエースとなる柳裕也(中日)などがいた。

 特に髙山は後にリーグ通算最多安打記録を48年ぶりに更新してドラフト1位で阪神に入団、プロでも1年目から出色の活躍で新人王を受賞した選手であり、2014年当時から既にアマチュアトップクラスの野手として知られていた。まさに群雄割拠だった。

 

「1年生2年生の時は、それこそ挫折の連続でした。小・中・高まではすぐに試合に出ることができていたんですが、初めて試合に出られないという感覚を味わいました。それが不甲斐なくて、すごく悔しい2年間でした」。取材を通して、初めて河野の口調が重くなった。

 

 鳴門高の森脇監督は教え子の奮闘をどう見ていたか。

「徳島を離れる時から“そんな甘いものではないぞ”と言っていました。やはり明治のような大学に行くと、ナンバーワンの選手たちが集まってきた中での勝負です。今までお山の大将だったのが、“現実は違うな”という感じになったのでしょう。それでもふて腐れずに、自分を見失うことなくコツコツとやっていったのが良かったんじゃないでしょうか」

 

 挫折から得た気付き

 

 河野にとってこの2年間は、決して無駄ではなかった。順調なキャリアを積んできた彼が控えを経験することで、今まで持ち得なかった世界観が身に付いたという。

「自分は今までずっと試合に出ていました。当然、その間に試合に出られなかった人がいたわけで、その人たちの気持ちを知ることができました。どれだけ苦労してサポートをしてくれていたかということを痛感したのです。以降は、試合に出られるようになってからも、自分のためではなく、支えてくれた人たちのために頑張りたいという気持ちを持つようになりました」

 

 苦境が河野を選手としてだけでなく、人としても成長させた。加えて名門・明治の教えが、大きな財産となった。

「明大野球部には、島岡吉郎(明大野球部元監督)さんが掲げてきた“人間力野球”が引き継がれています。“野球だけやっていても絶対にいい選手にはなれない。寮生活からひとつひとつの行動をしっかりやっていないと、それがプレーに表れるし、1人の人間として成長しない”と常々言われました。そういう環境でしたので、規則正しい生活を意識するようになりました」

 

 明大在学時、河野が大きく影響を受けた選手がいた。同学年の竹村春樹だ。2017年第29回ユニバーシアード競技大会における大学侍ジャパンに選ばれ、2017年秋季リーグのベストナインにも輝いたプレイヤーである。

「彼は1年生の時からずっとリーグ戦に出ていた。自分の理想はそれだったので、悔しかった。竹村は自主練習をものすごく熱心に取り組んでいた。それが結果に表れているのだと感じ、“自分も負けないようにやらなくては”と思いました。一番仲の良い同級生であり、ライバルです。アイツと4年間、切磋琢磨できて本当によかった」

 

 己を見つめ直し、研鑽を積んでいた河野に転機が訪れた。大学3年の時だった。

「善波達也監督から、“試合に出たいのならセカンドもやってみないか”と声をかけていただきました。これまで1回もセカンドを守ったことがなくて戸惑いもありましたが、試合に出るために挑戦しました。ショートとは動きが逆になるので難しかったですが、とにかくチーム練習のみならず自主練習を重ねて感覚を掴むことができた。今では、どちらでも守ることができるようになりました」 。そして、ついにリーグ戦デビューを果たす。

 

 大学3年生時の2016年春季リーグ初戦、4月16日の対東京大戦。河野はチャンスの場面で、代打で起用された。相手投手は同学年の宮台康平。後に日本ハム入りを果たした左腕エースだ。これが、記念すべきリーグ戦初打席だった。

「宮台の初球のストレートをフルスイングして、キャッチャーフライでした。でもあのスイングのおかげで、六大学野球でやっていけると感じました。結果は全然ダメでしたが、緊張する場面で代打に送られて、初球をフルスイングできたことが自分の中ですごく自信になったのです。あの打席も自分の中で分岐点となった打席でしたね」

 手応えを掴んだ河野は、徐々に出場機会を増やしていった。

 

 意識改革で名門のレギュラーへ

 

 その年、明大は春季、秋季とリーグ連覇を達成する。河野は春秋合計15試合に出場した。「連覇の一員になることができ、すごく良い経験を積むことができました」。いずれも規定打席には及ばなかったが、春季では打率3割3分3厘を記録するなど、打撃面で成長を見せた。それでも河野はまったく満足していなかった。「まだまだ信頼できるレギュラーではなく、継続して試合に出ることができなかった。もっと貢献したかったという気持ちはあります」

 

 そして、いよいよ学生野球最後のシーズンが幕を開ける。4年生となった2017年の春季シーズン、明大は5位に低迷した。河野も打率2割7分3厘とまずまずの成績を残したが、7試合の出場にとどまった。結果を出す技量は間違いなく身に付いてきているが、それを継続できないもどかしさを感じていた河野は、メンタル面を見つめ直すことを決意した。

 

「リーグ戦には空き週といって試合がない週があります。自分はバッティングに波があるので、空き週をうまく使って調整するよう意識しました。調子が悪くても引きずらずに次の週に向けて備え、調子が良ければ落ちないように引き締めました。あとは自分の流儀というか、とにかくリーグ戦の開幕にベストコンディションを合わせていくというのがあるんです。開幕1試合目に自分の思うプレーが存分にできるようにしました」

 

 秋季リーグ開幕日をターゲットに、河野は1カ月前、1週間前、1日前と逆算して準備した。そして開幕カード第1戦、早稲田大相手に4打数2安打と好スタートを切った。

 

 一連の意識改革が、秋の飛躍につながった。11試合に出て42打席に立ち、規定打席(34)を初めて超えた。打率3割1分3厘、2本塁打、5犠打。確実性、長打力、小技。すべてを兼ね備える選手としての数字を残したのだ。この活躍が社会人野球の強豪・日立製作所の入社につながったことは間違いない。加えて彼の勝負強さ、攻める姿勢、キャプテンシーも高く評価されたのだろう。守っても失策はゼロであった。自慢の守備力には磨きがかかっている。

 

 為せば成る

 

 好守好打の河野。自身が理想とする打撃や守備はこうだ。

「打撃では場面に応じられるようなバッティングを理想としています。今シーズン(2017年秋)の10月23日の東京大戦でのことです。どうしても1点が欲しい展開で1死三塁、内野が後ろに下がったのでヒットは狙わずに、セカンドゴロを狙って打って1点をとりました。そういうバッティングを常にイメージしています。自分の結果よりも、とにかく勝ちたいのです。守備において一番心がけているのは安定感と球際の強さ。簡単な球は絶対にアウトにし、あと一歩の打球には食らいついてでも捕る」

 理想は福岡ソフトバンクの今宮健太だ。「球際には滅法強く、簡単な球は確実にアウトにする。打撃でも今宮選手のように右にも打てるし長打もあり、バントも100%決められる。そういう選手になりたいですね」

 

 この春から日立製作所へ進む。更なるステージ、プロへの思いも捨ててはいない。

「プロ野球選手になりたいという思いはずっと自分の中にあり、今も強く思っています。そのためにも社会人野球で活躍したい。これから進む日立製作所の野球部は100年の歴史がありますが、まだ1回も都市対抗で優勝したことがないのです。何としてでも初優勝を味わいたいですね」

 

 昨年秋のプロ野球ドラフト会議で、日立製作所の菅野剛士が千葉ロッテから指名された。菅野は明大出身でもあり、河野にとって大学・社会人での先輩にあたる。社会人野球の2年間で結果を残してプロに進んだ先輩の軌跡が、河野の最高のモデルケースとなるだろう。

 

 河野の座右の銘は「為せば成る」だ。何事においても行動し、自ら解決策を見出してきた。甲子園での活躍や東京六大学野球の連覇など、努力の成果を形として残してきた。これからも河野は、立ちはだかる困難に立ち向かいながら前進していくに違いない。一歩一歩着実に、憧れの舞台への階段を上っていく。最後に高校の恩師・森脇監督による激励の言葉を締めとし、河野祐斗を紐解く旅を終える。

 

「彼にとって本当の勝負が始まるのだと思います。これからも感謝の気持ちを忘れずにプレーしてほしい。そして徳島、鳴門の後輩たちに夢を持たせてくれるような存在になってもらいたい。鳴門の現役球児共々、私も今後の一層の活躍を楽しみにしています」

 

(おわり)

 

河野祐斗(かわの・ゆうと)プロフィール>

1995年8月25日、徳島県鳴門市生まれ。小学1年で野球を始める。林崎小、鳴門第二中を経て鳴門高に進学。1年生からサードでレギュラーの座を掴む。2年春にショートのレギュラーとして、初めて甲子園の土を踏んだ。3年時にはキャプテンとして春夏の甲子園出場。夏の甲子園では攻守の軸として、63年ぶりのベスト8進出に貢献した。高校卒業後は東京六大学野球の明治大に進学。好守の内野手として活躍した。卒業後は日立製作所への入社が決まっている。攻守で気迫を前面に押し出すプレースタイル。身長173cm、体重74kg。

 

(文・写真/交告承已)

 

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