1954年から1961年にかけて東映フライヤーズは駒沢球場を本拠地にしていた。その時期に付けられたニックネームが“駒沢の暴れん坊”。その中心が張本勲、山本八郎、土橋正幸といった面々。とりわけ山本はケンカっぱやく、しょっちゅう審判に狼藉を働いたり、乱闘騒ぎを起こしていた。

 

 引退後、山本は鴨川シーワールドでシャチの飼育係をしていた。東映ファンの放送作家・高田文夫から「山本八郎は言うことをきかないシャチを殴ってシーワールドをクビになったらしい」と聞いたことがあるが、これは“都市伝説”の類だろう。


 山本に負けず劣らずの“武闘派”が1962年に韓国からやってきた白仁天だ。元ボクサーの露崎元弥球審と大立ち回りを演じたこともある。白仁天は韓国ではスピードスケートの選手としても有名だった。馬力のある下半身はリンクで培ったものだったという。


 平昌冬季五輪の開幕が迫ってきた。韓国が冬季五輪に参加したのは1948年のサンモリッツ大会からだ。これまで53個のメダル(金26、銀17、銅10)を獲得しているが、全てがスケートの競技種目なのだ。よく言えば“スケート王国”だが、他の競技の普及や育成、強化はどうなっているのか。


 特筆すべきは2010年バンクーバー大会金メダリストのキム・ヨナだが、フィギュアもスケートの一部である。


 米データ分析会社グレースノートの予想によると、韓国勢のメダル候補はスピードスケートのイ・サンファ、ショートトラックのチェ・ミンジョンら、やはりスケートの選手たち。他競技はスケルトンのユン・ソンビンの名前が確認できるだけだ。


 単一作物ばかり生産する農業形態をモノカルチャーと呼ぶが、冬季五輪における韓国の強化手法はまさに“スポーツ版モノカルチャー”と言えるものだ。


 ストロングポイントを徹底して磨き上げる一方でウイークポイントの強化にはさほど熱心でないのが韓国流だ。環境面や施設面の問題もあるのだろう。これを“選択と集中”の成功例、と見る向きもあるが、ウインタースポーツ全体の発展を目指すのなら、そろそろ分散化に舵を切る時期にきているように感じられる。


 民団のHPに韓国のスポーツ界は<まだメダルと縁がないスキー種目で史上初のメダルを狙っている>との記載があった。多様化への一歩を刻むことができるのか。

 

<この原稿は18年2月7日付『スポーツニッポン』に掲載されています>


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