もう10年以上前の話になる。泥酔したソクラテスの言葉に、わたしはギクリとした。

 

「世界広しといえども、ペレとマラドーナを比較するなんてバカげたことをするのは、クソッたれのアルゼンチン人どもだけだ。お前もそう思うだろ?」

 

 実は、子供のころから彼が言うところの「バカげた」妄想を繰り返してきたわたしである。とはいえ、目の前で怪気炎をあげているのは、医師免許をも持つ伝説的なブラジル代表の元主将。困った。ペレは3度世界王者になった。マラドーナは? ペレは17歳でW杯に出た。マラドーナは? 82年W杯の思い出を聞かれ、「イタリアに敗れて優勝できなかったのは残念だが、アルゼンチンに勝ったのだから満足もしている」と言い放った“ドトール(医者)”は、いかにマラドーナが取るに足らない存在であるかを滔々と訴え続けた。

 

 ペレとマラドーナを比較するのがアルゼンチン人だけかはいざ知らず、マラドーナが大会直前にメンバーから外れ、W杯アルゼンチン大会への17歳での出場を逃しているのは事実である。マラドーナ自身、人生でもっとも悔しかった出来事のひとつとも語っている。

 

 だが、その後の人生を見る限り、17歳での挫折はマラドーナにとって飛躍のきっかけにもなったようにも思える。また、世界王者となってからの転落ぶりからすると、若くして世界的注目を浴びていたら、道を踏み外すのはもっと早まっていたのでは、という気もする。

 マラドーナにとって、そして“ドトール”にとっても初めてのW杯となった82年のスペイン大会では、24年間守られてきたペレの「最年少出場記録」が破られた。破ったのは北アイルランドのノーマン・ホワイトサイド。この時作られた17歳41日という記録は、いまなお破られていない。

 

 だが、ジョージ・ベストの後継者として期待されたパワフルな左利きアタッカーは、その期待を大きく裏切ってしまう。度重なるケガや飲酒トラブルで本来のスタイルを見失っていった期待の星は、わずか26歳で現役引退をしてしまうのである。

 

 ホワイトサイド同様、10代で大きな注目を集めながら伸び悩んだ選手としては、米国のフレディ・アドゥーの名もあげられる。かつては多くの評論家が大まじめにその将来性をメッシと比較するほどの存在だったが、彼もまた、早い時期での注目で人生を狂わせてしまった一人といえるかもしれない。

 

 ということで、わたしが気になるのは久保建英である。インドネシアでの2得点。見事だった。もしFC東京でレギュラーを獲得するようなことがあれば、ロシア行きを期待する声が一気に高まる可能性もある。もしメンバーに選ばれ、試合に出場すれば、ホワイトサイドの記録が36年ぶりに更新されることになるのだが、果たして、それが久保の人生にとって良きことなのか。わたしには、わからない。

 

<この原稿は18年2月8日付『スポーツニッポン』に掲載されています>


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