21日、スピードスケート女子チームパシュート決勝が行われ、女子は日本がソチ五輪金メダルのオランダを2分53秒89のオリンピック新記録で下した。日本は同種目初の金メダル獲得。銅メダルは3位決定戦でカナダに勝ったアメリカが手にした。同日に行われた男子決勝ではノルウェーが初制覇。地元・韓国は2大会連続銀メダルで、3位にはソチ五輪金メダルのオランダが入った。日本は5位だった。

 

 日本は個と和の力で初の金メダルを掴み取った。スケート王国・オランダを破っての優勝。世界最速のチームが最強の称号も手にした。

 

 準々決勝を2位で通過した日本。準決勝は同3位のカナダと対戦した。髙木美帆(日本体育大学助手)、菊池彩花(富士急行)、髙木菜那(日本電産サンキョー)の3人で臨んだ。今大会1000m銅、1500m銀の髙木美帆が引っ張る日本の隊列。23歳の中長距離エースに菊池、髙木菜那が続く。

 

 1チーム3人編成で1周400mのリンクを6周する女子のチームパシュート(男子は8周)。トリノ五輪から正式種目として採用された。個のスピードとスタミナに加え、チームワークがカギを握る。日本はラップを重ねるごとにカナダとの差を広げていく。ラストは決勝に向けてペースを落とす余裕すら見せて、2秒88差をつけてゴールした。

 

 決勝はソチ五輪準決勝で大敗したオランダが相手だ。ソチ五輪では計23個(金8、銀7、銅8)のメダルを荒稼ぎした。今大会でも既に6個の金メダルを獲得したスケート王国は個の力で日本を圧倒する。決勝のメンバー、イレイン・ブストは1500m金、3000mの銀メダリスト。マリット・レーンストラは1500mの、アントワネット・デ・ヨングは3000mの銅メダリストである。

 

 対する日本は準決勝のメンバーから菊池に代わり、佐藤綾乃(高崎健康福祉大学)が入った。2分50秒87の世界記録を叩き出した3人で、オリンピックの頂点を目指した。スタートのピストルが鳴らされると、髙木美帆を先頭にして一斉に滑り出す。日本の3人は美しい隊列で、すぐに陣形を整えた。出だしの200mは18秒08。オランダより0秒11だけ先に通過した。

 

 髙木美帆に続いて、先頭を任されるのは佐藤だ。しかし、残り3周半となったところでオランダに逆転を許す。その差は0秒10。中間点(1200m)では0秒38と開いた。1400m通過時点で、このレース最大の0秒47秒差がついた。

 

 それでも日本は慌てることはなかった。徐々にペースが落ち始めるオランダに対し、日本は安定したラップタイムを刻む。半周でわずかに差を詰めると、残り1周半で0秒05と射程圏内にとらえる。ラスト1周の鐘が鳴り、2000mの通過は日本が0秒53リードした。

 

 最後は髙木美帆が引っ張る。最後方の髙木菜那が佐藤をフォローしながら突き進んだ。リードをさらに広げ、オランダより1秒58先着した。2分53秒98は準々決勝でオランダが出したオリンピックレコードを更新。強敵を圧倒し、悲願の金メダルを手中に収めた。

 

 2010年バンクーバー五輪で日本は銀メダルを獲得した。しかし、4年後のソチ五輪では4位。準決勝ではオランダに11秒以上の差を付けられ、3位決定戦でもロシアに完敗だった。当時オリンピック初出場の髙木菜那は「世界との差。個人の差も合わせて負けてしまった」と肩を落とした。

 

 ソチでの惨敗を受けて、日本はナショナルチームを設置。所属先の垣根を取り払い、チームジャパンの輪を強固なものとする。3人がシンクロする抜群のコンビネーションは年間300日以上も遠征や合宿を共にすることで養ってきた。先頭交代での減速を抑える方法を見出し、さらには先頭交代の回数を極力減らした。安定したペースで最後まで滑り切るための術を編み出した。

 

 日本はW杯で世界記録を連発するなど金メダルの大本命として平昌に乗り込んだ。チーム最年少21歳の佐藤は「今までにない緊張で、不安や恐怖が大きかった」と振り返る。重圧をはねのけて掴んだ栄光。髙木菜那は「力がひとつになって優勝できた」とチーム力を強調した。半分以上を先頭で滑った髙木美帆は「この優勝はチーム全員の力がないと成し遂げることができなかった。自分の力だけではなくみんなとだったから獲れた金メダル」と喜んだ。

 

 髙木美帆というエースが育ち、チームの熟成度を高めたことが日本の勝因だろう。日本選手団としては今大会3個目の金メダル。これで自国開催の長野五輪を上回る11個のメダル総数となった。ここまで5個(金2、銀2、銅1)のメダルを獲得したスピードスケートが躍進の立役者であることは間違いない。

 

(文/杉浦泰介)