そもそも、競技数が長野のころとは比較にならないほど増えているのだから、メダルの獲得数をうんぬんするのはナンセンス、だと思う。ただ、長野のころとは明らかに違ってきているところも確かにある。

 

 世界との距離感である。

 

 プレーしている選手に限った話ではない。現地で、あるいはテレビを通して観戦している一般のファンも、昔とは違って世界一のタイトルを現実的な目標としてとらえるようになっているのではないか。

 

 2年前のリオでも感じたことだが、日本人であることが「勝てない言い訳」だった時代は、いよいよセピア色を帯びてきている。個人的には、あの震災の直後に獲得したサッカー女子W杯のタイトルが、その後の日本人の意識形成に大きな影響を及ぼしていると思うのだが、どうだろう。

 

 ちなみに今回の五輪でわたしが一番、というか心底呆れたのは、女子アイスホッケーの南北合同チーム結成だった。

 

 南北がひとつになったことがいかん、というわけではもちろんない。決めたのが政治家で、現場に拒否という選択肢が与えられていないように見えたところに、呆れ果てたのだ。

 

 想像していただきたい。どんな理由であれ、そう、どんな理由であれ、日本の首相がサッカー日本代表のメンバーに口を挟んできたら。「この選手をメンバーに加えろ」とネジこんできたら。わたしならば死に物狂いで反発するし、監督がトルシエあたりだったとしたら、大会ボイコットまでチラつかせたのではないか。手塩にかけて育ててきたチームの中に、ただのシロートが手を突っ込む。錦の御旗を振りかざせば、政治のスポーツへの介入は許される。今回、韓国がやったのは、そういうことだった。

 

 ところが、チームを空中分解させてしまってもおかしくない暴挙が、思わぬエネルギーをも生むからスポーツは面白い。2戦2敗同士で迎えた日本と合同コリアの一戦は、力では圧倒的に上と見られていた日本が、意外なぐらい押し込まれる展開となった。場内の、そして国内の異様な空気が、コリアに持てる以上の力を与えていたのである。

 

 最終的には何とか日本が4-1で押し切ったものの、内容的にもスコア的にも日本の大苦戦、コリアの大健闘と言っていい。改めて、流動的なボールゲームにおけるホームアドバンテージ、あるいは熱気の重要性を思い知らされた一戦でもあった。

 

 さて、五輪が終われば次の世界的なスポーツイベントはロシアでのW杯である。残念ながら、4年前と比較しても世界の頂点との距離が縮まったという実感はない。頂点を狙おうという威勢のいい声も聞こえてこない。となれば、望外の成績を期待するには、いまはない思わぬ熱が必要になってくるかもしれない。その“タマゴ”は、むろん、今週始まるJリーグにある。

 

<この原稿は18年2月22日付『スポーツニッポン』に掲載されています>


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