オリンピックが終わればパラリンピックだ。JPC(日本パラリンピック委員会)が平昌に送り込む38人の選手たちの中に路上でスカウトされたシンデレラボーイがいる。前回のソチ大会に続いて出場するクロスカントリースキーの岩本啓吾だ。


 JPCによればパラリンピックのクロカンは立位、座位、視覚障がいの3つのカテゴリーに分かれており、岩本は立位だ。脳性麻痺の影響で生まれつき左足が内側に向く障害がある。


 岩本をスカウトしたのはノルディックスキーチーム代表監督の荒井秀樹である。出会いは偶然だった。2011年の冬のことである。北海道音威子府(おといねっぷ)村で開かれたクロカンの大会で「片足を引きずりながらクロカンの板を担いで歩いてきた子」にばったり出くわした。高校男子の大会が終わった直後だった。


 運転していた車を降りた荒井は単刀直入に切り出した「この大会に出たのか?」「出ました」「よく、このアップダウンのきついコースを走れたな」。荒井によれば世界的にも脳性麻痺のクロカン選手は珍しく、育て方によってはパラリンピック出場も可能だと考えたのである。


 善は急げだ。荒井はたたみかけた。「おかあさんに電話しろ」「はぁ」「今、変な人に捕まってパラリンピックに出ろ、と言われている。やっていいかどうか聞いてくれ」。母親の答えは「本人さえよければ…」。かくして岩本のパラリンピックへの挑戦が始まったのである。


 指導を始めて間もなく、意外な事実が判明した。岩本は障害者手帳を持っていなかったのだ。障害者手帳は地方公共団体に申請し、認定を受けるものだが、これがなければ就労支援や医療費助成といった行政サービスが受けられない。それだけではない。困ったことに障害者大会の出場資格が得られないのだ。手続きが完了したのはソチ大会出場選考を兼ねたジャパンパラ(13年2月)の直前だった。


 岩本と荒井の例を持ち出すまでもなく、障がい者スポーツは濃密な人間関係によって成り立っている。荒井は言う。「電車で車いすに乗っている子がいたら、僕は迷わず声をかけます。クロカンやらないか。パラリンピックに出られるぞ、ってね」。パッと子供の目が輝く。それを見る喜びが荒井の地道なスカウト活動を支えている。

 

<この原稿は18年2月28日付『スポーツニッポン』に掲載されています>


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