キャプテンは本番では勝てない――。オリンピックにおいて、そんなジンクスがいつから生まれたのか定かではないが、平昌冬季大会スピードスケート女子500メートルで表彰台の真ん中に立った小平奈緒も、主将の打診を受けた時は、「自分は向いていない」と断るつもりだったという。


 一転して引き受けることを決めたのは「選手としてだけではなく、将来に(主将の経験が)生きてくる」と判断したからだという。こうした前向きの姿勢が金メダルに結び付いたのかもしれない。


 冬季パラリンピックに5大会(リレハンメル、長野、ソルトレイクシティ、トリノ、バンクーバー)連続で出場し、金2、銀3、銅5、計10個のメダルを手にしたアルペンスキーの大日方邦子がキャプテンを務めたのは2006年のトリノ大会である。大回転で金メダルを獲得し、「1番って本当にいいですね」と満面の笑みで答えた。


 8年前に第一線を退き、45歳になった大日方は今回の平昌大会で選手団団長を務める。金メダリストの団長は日本パラリンピック史上初めてのことだ。


「私は何をすればいいんですか?」。大日方の問いかけにJPC(日本パラリンピック委員会)の幹部は「日本選手団の顔としてやっていただきたい。選手たちをまとめていってほしい」と語ったという。


 団長の仕事はNPC(各国・地域パラリンピック委員会)との交渉や組織委員会での打ち合わせなど多岐にわたる。各国の団長間による会議まである。


 冬季オリンピックに目を移すとスピードスケートの橋本聖子(現参院議員)が10年バンクーバー大会、14年ソチ大会、16年リオデジャネイロ大会で団長を務めている。橋本は夏冬合わせて7回も五輪に出場している。


 団長は顔の広さがものを言う。パラリンピックのレジェンドとも言える大日方はスキーを通じて世界中に知己を持つ。「スキー競技はシーズンに入ると道具を持って世界中を転戦するので、パラリンピックはもちろんオリンピックの選手とも距離が近いんです」。昨年暮れに会った際、そう語っていた。


 支えられる側から支える側へ。平昌での経験や知見は2年後に迫った東京パラリンピックにも生きると大日方は確信している。

 

<この原稿は18年3月14日付『スポーツニッポン』に掲載されています>


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