2012年4月、西丸泰史は地元・香川県の尽誠学園高に進学した。同校の硬式野球部は甲子園の常連であり、全国でも有数の強豪校として知られる。野球留学も盛んで、毎年各地から有力選手が集うが、西丸の才能はそのなかでも際立つものであった。

 

 レギュラーになったのは「入部してすぐ」だったという。ポジションはショート。以降、卒業まで西丸の“職場”が変わることはなかった。西丸が所属していた当時の尽誠学園野球部・岡嶋徳幸監督に、抜擢の理由を訊ねた。
「投手希望で入学してきましたが、野手としての動きの方が圧倒的に光っていました。なによりバッティングがちょっと他とは違っていましたよ。入学当初からどういうボールにも対応できていた。元気があって、みんなに好かれるようなタイプだったことも要因のひとつです」

 

 エース攻略、圧巻の打撃

 

 入学から3カ月後の7月に行われた第94回全国高校野球選手権・香川県大会で、西丸は自慢の打撃を早速アピールする。準々決勝の高松商戦に1年生ながら3番打者として出場した西丸。両者無得点で迎えた6回表、1死一、三塁の場面で打席に入った。相手投手は三木中時代の先輩でもあった谷川宗(当時3年)。2球目、インコースの直球を西丸が振り抜くと、打球はグングン伸びてライトスタンドの芝の上に落ちた。

 

「この一打は自信になりました。谷川さんは中学校の時からよくお世話になっており、当時から球が速いピッチャーでした。打ったのは厳しいコースのインハイでしたが、うまく捉えることができました」。尽誠学園は6回まで谷川にノーヒットに封じ込められていた。それだけに西丸の一発は価値あるものだった。

 

 順風満帆に思えた野球人生に突如として暗雲が立ち込めたのは、高校2年生になった2013年の4月。春の香川大会の決勝、琴平高戦でのことである。1死二、三塁の場面。打者がサードゴロを放つと、三塁ランナーだった西丸は本塁に果敢に突入した。タッチを避けようと無理な体勢で滑り込んだ西丸は、キャッチャーと接触し腰を強打。以来腰の痛みが消えることはなく、常に不安を抱えながらのプレーを余儀なくされてしまった。ただチームは西丸の激走もあって決勝に勝利し、香川王者として四国大会に出場する権利を得た。

 

 5月に行われた第66回春季四国大会は、西丸にとって高校生活のハイライトとも言える大会となった。準決勝で、同年3月の選抜高校野球大会で準優勝に輝いた済美高と対戦した尽誠学園は、6対2で見事勝利を収めた。済美のエース・安樂智大は選抜で計772球を投じた影響で先発を回避していたが、2対0と尽誠学園リードで迎えた5回、1死三塁の場面でリリーフ登板。2死三塁となり、打席に西丸が立った。
「自分たちの代のスーパースター」(西丸)を相手に、狙い球を直球に絞った西丸は、見事にその球をセンター前に弾き返した。試合の流れを決定づける貴重なタイムリーとなり、結果的にこれが決勝点となった。相手の切り札を打ち崩したのだ。

 

 痛みに耐え、大活躍

 

 続く決勝では徳島県の名門・鳴門高と対戦。この年の選抜高校野球大会出場校である鳴門の投手は、ここまで2戦を連続完投したエースの板東湧梧だった。板東の力投の前に、尽誠学園は8回まで1対3と2点のリードを許してしまう。だが、最終回に尽誠学園は驚異の粘りで同点に追いつく。さらに2死三塁の好機でバッターは西丸。
岡嶋監督は「決めるならこの場面。西丸しかいない」と思ったという。西丸は板東からライト前タイムリー。尽誠学園が土壇場で試合をひっくり返し、15年ぶり3度目の四国制覇を成し遂げた。西丸はこの大会、チャンスでことごとく打点を重ね、戴冠に大きく貢献した。「トップレベルの球を打つことができて、大きな手応えを掴みました」

 

 その一方で、庇い続けた腰の痛みは限界に達しつつあった。夏の甲子園を懸けた7月の香川県大会の出場に際し、医師からは「無理はさせられない」と宣告された。それでも西丸は痛み止めを打って監督に出場を直訴。2回戦と3回戦こそ欠場したが、準々決勝から先発に名を連ねるといきなり3安打の大暴れ。続く準決勝での英明高戦ではサヨナラタイムリーツーベースを含む4安打3打点と打ちまくった。惜しくも決勝で敗れて甲子園出場は夢と消えたが、西丸の勝負強さと不屈の闘志は観る者みなの心を強く打ったはずだ。

 

「正直、腰は痛かったです。でも野球がしたかったし、ベンチで指をくわえて見ていられなかったんです」と当時を振り返った西丸。父・謙二も、息子の意志の強さについてこう証言する。「ケガをした時も、本人は僕にそれを言いませんでした。痛いとかキツイとかを、親に言わない子なんです」。気持ちの強さ、そしてとにかく野球をすることが好きであるという純真な想いを感じ取ることができた。

 

 「全員がキャプテン」という教え

 

 野球選手として格段に進歩した西丸だったが、人間としても大きく変わった時期が高校時代だったという。尽誠学園野球部のテーマは「自立」。キャプテンにすべて頼るのではなく、一人一人がしっかりと考えて行動しなければならないという教えだ。
「監督からは“全員がキャプテンでありなさい”と繰り返し言われました。野球に限らず、周りを見るようになりました。ゴミがもし落ちていたら、見て見ぬふりではなく拾う。誰かが見ているからではなく、自分から行動します。野球においても、例えばピンチの時にピッチャーにこういう言葉をかけたら効果的なんじゃないかとか、“チームがいま何を必要としているか”をずっと考えていました」

 

 岡嶋監督が指導の狙いを補足する。
「普段から高い意識で野球に取り組んでほしかったんです。実際、西丸を含め彼らは“この場面はこの作戦がいいんじゃないか”“あの時の盗塁は、もう1球待った方がよかったんじゃないか”などと各々話し合っていましたよ。サインを出すのは私ですが、出す前から“ここはエンドランだな”とか“ここはバントだな”とこちらの意図を分かってサインを受けられるレベルになっていました」

 

 波乱万丈の3年間はあっという間に過ぎた。甲子園出場こそ叶わなかったが、着実に実績を残した西丸の元には社会人のチームを中心に誘いの声が複数あったという。そのなかで西丸が下した決断は、東都大学リーグの國學院大学進学だった。日本各地から猛者が集う世界へ足を踏み入れようとする西丸。しかし痛めた腰の状態は依然として思わしくなかった。むしろ大志を蝕む不安の影は、より一層深いものとなっていたのだ――。

 

<西丸泰史(にしまる・たいし)プロフィール>
1996年10月18日、香川県木田郡三木町生まれ。小学1年で野球を始める。氷上小、三木中を経て尽誠学園高に進学。1年生からショートでレギュラーの座を掴んで以来、不動のレギュラーとなった。高校2年生時、春の四国大会で獅子奮迅の大活躍。クリーンアップとして得意の打撃で、四国大会制覇に貢献した。高校卒業後は東都大学野球リーグの國學院大学に進学。強打の内野手として活躍中。2017年春季リーグ戦ベストナインに、指名打者部門で選出された。2018年からは主将を務める。身長178cm、体重78kg。

 

(文・写真/交告承已)

 


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