82年W杯スペイン大会におけるブラジル代表と言えば、史上もっとも魅力的なサッカーを展開したと評価する人も多い、伝説的なチームである。「黄金のカルテット」と呼ばれたジーコ、ソクラテス、ファルカン、トニーニョ・セレーゾで構成された中盤は、クライフのオランダほどには独創的でなかったものの、美しさであればむしろ上だったかもしれない。わたしにとっても、生涯忘れ得ぬチームのひとつである。

 

 そのうちの一人、いまは亡きソクラテスに酒を飲みながら話を聞いたことがある。中でも印象に残っているのは、チームを率いた監督テレ・サンターナについて語ったくだりだった。

 

「テレがやったことは、実はそれほど多くない。あのときのブラジルが美しかったのは、予選のときからメンバーを固定して戦ったこと、それに尽きる」

 

 わたしの中では、テレ・サンターナと言えば名将中の名将だった。だが、だいぶ白ワインをきこしめしていた皮肉屋の“ドトール”によれば、監督の力よりも熟成の力が大きかったというのである。

 

 もちろん、ソクラテスはテレの功績を否定しているわけではなかった。ただ、あのチームの美しさがテレによって作り上げられた、といった報じられ方には、いささかうんざりしているようでもあった。彼はこうも言った。

 

「同じ監督、ほぼ同じ顔ぶれで臨んだにもかかわらず、4年後のブラジルがまるで違ったチームになってしまったのは、わたしを含めてケガ人が多く、熟成が進まなかったからなんだ」

 

 ソクラテス曰く、熟成の力とはかくも大きい。

 

 さて、我らが日本代表である。そもそも前監督がチームを熟成させるタイプだったかという疑問は残るにせよ、本番間近の監督更迭となった以上、熟成に代わる何かが求められるのは間違いない。先週の本欄ではその一つとして「個の力」をあげたが、実はもう一つ、てっとり早い方法がある。

 

 一つのチームを母体とするやり方である。

 

 近年の日本代表は、海外でプレーする選手が増えたこともあり、いわゆるオールスター的なチームであることが多かった。だが、近年のドイツやスペインのように、母体となるチームを定め、足りない部分を他チームのメンバーで補強していく、というやり方もある。

 

 これがかつてのJリーグやいまの中国のように、要となる選手がことごとく外国人となると困ってしまうが、幸か不幸か、いまのJリーグに大物外国人は多くない。Jのあるチームのやり方をベースに、海外組で補強していくというやり方は十分に可能である。このやり方であれば、熟成不足の問題は大幅に軽減される。

 

 たとえば、フロンターレを母体とする日本代表ができたとしたら。あのアグレッシブなスタイルがどこまで通用するものなのか、興味は尽きない。中村憲剛と家長が代表でもコンビを組み、そこに海外組が絡んだら……。西野監督、いかがですか?

 

<この原稿は2018年4月26日付『スポーツニッポン』に掲載されています>


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