30年ほど前、セルジオ越後師匠に「どうして監督をやらないんですか」と聞いたところ、「監督は切られる仕事。ぼくがやりたいのは切る仕事」との答えが返ってきて、びっくりしたことがある。当時のわたしは、スポーツの世界で一番偉い(というか重要というか)のは監督だと思い込んでおり、フロントの仕事や重要性をまるで理解していなかった。

 

 偉いとか重要とかはさておき、監督という仕事がクビを切られる仕事であることは間違いない。そして、切る、切られるという行為が断行されるとき、何らかのしこりが生じるのはごく普通のことである。ハリルホジッチ監督が激怒したのも当然と言えば当然。

 

 彼の立場にたって見れば、解任の理由が「コミュニケーション不足」というのも理解不能だったことだろう。意思や思考の伝達? 大事なのは勝つことではないのか? わたしだったらそう思うし、実際、田嶋会長を批判する声もあるようだ。

 

 だが、結果的に裏目に出てしまったとはいえ、「コミュニケーション不足」を解任の理由としたのは、田嶋会長の温情ではなかったかとわたしは思う。つまり、ズバリ本音をぶつけるのではなく、日本人らしくオブラートに包んだのが、却って相手の怒りを招いてしまったのではないか、と。

 

 先の欧州遠征でわたしが絶望的な気分になったのは、試合後の選手たちが結果や内容にショックや怒りを覚えていないことだった。言葉に出さずとも「このチームじゃ当然だよな」「ま、予想通りかな」――そんな空気がヒシヒシと伝わってきた。コミュニケーションなどどうでもいいが、少なくとも、ハリル監督は選手に対する求心力を喪失してしまっている。それも完全に。そう思った。

 

 選手が監督に反発するのは珍しいことではない。時には反発する新たな力、スタイルを生み出すこともある。だが、選手たちが冷笑するようになったチームに未来はない。わたしの知る限り、断じて、ない。

 

 ただ、そのことをハリル監督に告げるのは、「あなたは無能だから」と宣告するに等しい。田嶋会長としては、それが忍びなかったのではないか。思えば、ファルカンや加茂氏が更迭されたときも、日本サッカー協会は彼らを否定するような理由はあげなかった。

 

 この更迭がW杯での好結果につながるかどうかはわからない。だが、W杯出場を目指す選手たちがかつてないほど多くなっているのは事実だろう。「誰が落ちるか」に焦点が当たってきた過去数大会のメンバー発表と違い、今回は全くの白紙。「誰が入るか」がまるで見えない状態だからだ。ひょっとしたら、俺も……そんな思いが選手たちのプレーに張りを持たせている。

 

 ドイツでは若い伊藤が決定的な仕事を連発している。Jに目を向ければ楽しみなレフティーが何人か頑張っている。プラスになるかどうかはともかく、今のところマイナスは感じられない、監督更迭後の日本である。

 

<この原稿は18年5月3日付『スポーツニッポン』に掲載されています>


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