京都府舞鶴市で行われた大相撲春巡業において、土俵上で倒れた市長に女性看護師が救命処置を施したところ、「女性の方は土俵から下りてください」と場内アナウンス担当の行司が3回もアナウンスした一件が、大きな波紋を広げている。

 

 

 相撲協会の八角理事長は「行司が動転して呼びかけたものでしたが、人命にかかわる状況には不適切な対応でした。深くお詫び申し上げます」と協会を通じてコメントを発表したが、なぜ行司は「動転して呼びかけた」のか。

 

 関係者によると、一部の観客から「なぜ女性が土俵に上がっているんだ」との声が上がり、それに煽られてしまったというのだ。

 

 蛇足だが、この話を聞いて私は米国出版界の大物サイラス・カーティスの言葉を思い出した。

 

「残念な人間は二種類に分けることができる。言われたことができないものと、言われたことしかできないものだ」

 

 若い行司の頭の中は「土俵は女人禁制だ。早く降りてもらわなくてはならない」との切羽詰まった思いで埋め尽くされ、協会の一員として人命を救うために、今何をすべきか、という最も大切な使命がすっぱりと抜け落ちてしまったのではないか。

 

 まさに「言われたことしかできない」硬直し切った考えの持ち主であることが窺える。

 

 しかし、若い行司ひとりを責めて済む問題ではあるまい。

 

 問われるのは八角理事長以下協会幹部が、どういう危機管理教育をしているかだ。

 

 土俵の上は明治期以降、「女人禁制」が原則だが、室町時代や江戸時代には女性が土俵に上がっている史料がいくつか見つかっている。

 

 だが、舞鶴で問われたのは「女人禁制」の是非論ではない。重要なのは土俵上で倒れた人物を、いかに迅速に救護するか、だ。

 

 土俵下には春日野巡業部長の姿も確認されたが、巡業の責任者としてリーダーシップを発揮した形跡は見当たらない。カーティスではないが残念なことだらけである。

 

<この原稿は『週刊大衆』2018年4月30日号に掲載されたものです>

 


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