昨秋のドラフト会議で7球団から指名を受けた大物ルーキー清宮幸太郎(北海道日本ハム)の背番号は「21」である。

 


 日本のプロ野球では10番台、20番台はピッチャーが背負うことが多い。その意味では意表を突く番号だ。


 なぜ「21」なのか。


「モデルとしてイメージしたのはメジャーリーグのロベルト・クレメンテ選手」(大渕隆スカウト部長)


 周知のようにメジャーリーグでは慈善活動に熱心な選手に対し「ロベルト・クレメンテ賞」が贈られる。


 そもそもロベルト・クレメンテとは、どういう選手なのか。


「ヒスパニック系の先駆け」と呼ばれるクレメンテは1955年にパイレーツでメジャーリーグデビューを果たす。「ライフルアーム」と呼ばれる強肩でゴールドグラブ賞に12回も輝いている。


 バットコントロールもよく、首位打者に輝くこと4度(61、64、65、67年)。パイレーツ一筋18年、通算3000安打を記録している。


 シーズンオフの1972年12月、彼のキャリアは唐突に終わりを告げる。地震に見舞われたニカラグアに救援物資を運ぶ途中、飛行機がカリブ海に墜落。クレメンテは38歳の短い生涯を閉じた。


 いかにクレメンテ賞が偉大かについては、05年に夫婦での奉仕活動が認められて同賞を受賞したジョン・スモルツが「サイ・ヤング賞よりも価値がある」と語ったことでも明らかだ。


「サイ・ヤング賞」といえば、言うまでもなく511勝をあげたメジャーリーグ最強のピッチャー、サイ・ヤングの功績を称え、そのシーズンで最高のピッチャーを顕彰するメジャーリーグで最も権威のある賞のひとつである。


 さらにスモルツは続けた。


「野球人として偉大であることは素晴らしい。しかし、人間として偉大であることはもっと素晴らしい」


 ある意味、清宮は重い番号を背負ったと言えるかもしれない。

 

<この原稿は『週刊大衆』2017年12月18日号を一部再構成したものです>

 


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