10クラブでスタートしたJリーグは昨日、25歳の誕生日を迎えた。現在はJ1、J2、J3合わせて54クラブを擁する。Jクラブが存在しないのは、いよいよ青森、福井、滋賀、三重、奈良、和歌山、島根、高知、宮崎の9県だけとなった。


 そこで、おさらいしておきたい。Jリーグの設立趣旨は次の4つだった。①「スポーツ文化」としてのサッカー振興、②日本サッカーの強化と発展、③選手・指導者の地位向上、④競技場をはじめとするホームタウン環境の整備――。まず①だがJが船出する際に掲げた「地域密着」の理念は他競技にまで影響を及ぼした。プロ野球の日本ハムが札幌市移転を機に「北海道」、新規参入した楽天が仙台市を本拠と定めると同時に「東北」と名乗ったことでも、それは明らかだ。


 ②についてはリーグ発足6年目にして悲願だったW杯出場を果たし、今夏、開催されるロシア大会で連続6回目となる。これは強化の成果ではなく、プロ化の結果と言える。③もプロリーグ発足前と今とでは雲泥の差がある。村井満チェアマンのインタビューを引く。<単純計算で50クラブに30人の選手がいれば、1500人の選手の雇用がある。クラブの職員も含めれば5000人弱がスポーツで生計を立てることを可能にした>(日本経済新聞5月1日付)。④についても25年前と今とでは隔世の感がある。競技環境、観戦環境は随分、改善された。新潟や鹿嶋のようにサッカーを地域振興の核にしているまちもある。


 ではプロリーグ発足によるデメリットは何か。私には思いつかない。あえて重箱の隅をつつけば、③の「指導者のやり甲斐」の部分をもう少し前に進めたい。そのためには元Jリーガーの日本人代表監督誕生が促進剤となるのではないか。


 外国人初の日本代表監督はオランダ人のハンス・オフトである。なぜオフトだったのか。初代チェアマンの川淵三郎(当時は総務主事)は語っていた。「カズやラモスのようなプロが代表に入った段階で代表監督だけアマというわけにはいかなくなった。さりとて、いきなり日本人監督というわけにもいかない。しばらくは外国人監督の方がいいだろうと…」

 

 プロリーグも4半世紀を経て次のステージに移行する時期にきている。有能な指導者を輩出できるアセットが不足しているとは考えられないし、それを理由にする時期は、もうとっくに過ぎたようにも思える。

 

<この原稿は18年5月16日付『スポーツニッポン』に掲載されています>


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