二宮清純: 萩原さんは2000年のシドニーオリンピックに出場しました。200m背泳ぎで4位、200m個人メドレーで8位と2種目で入賞です。私も現場で取材しましたが、200m背泳ぎでは3位との差はほんのわずかでした。

萩原智子: 0.16秒差です。“なんで同タイムじゃなかったんだろう”と何度も思いました。

 

 

 

 

 

二宮: 競馬だったらハナ差。実際、どのくらいの差だったんでしょうか?

萩原: 指の第一関節もないと思います。ほとんど同じぐらいにタッチして、ゴール板を押す力が強かったか弱かったかの差です。

 

二宮: ほんの瞬きぐらいの違いですよね。もっと強く押していたらメダルに届いていたかもしれない?

萩原: でもそれが実力です。実は練習でもコーチに言われていたんです。「最後のタッチまでしっかりしなさい」と。何度も注意されてきていたことで、大舞台でできなかったんです……。

 

二宮: 初出場のオリンピックだったわけですが、シドニーはどんな感じでしたか?

萩原: シドニーの空港に降り立った時に、ものすごい報道陣の方に囲まれました。それまで見たことのない人数だったんです。チームの皆はバスにスッと乗れたんですが、私だけ空港のロビーでもみくちゃにされてしまいました。当時はメディア対応も今ほど徹底されていなかったのが正直なところです。

 

二宮: シドニーオリンピックは平泳ぎで4個の金メダルを獲得した北島康介さんにとっても初めてのオリンピックでした。

萩原: 彼も100m平泳ぎで4位入賞でした。同じ順位同士、たまたまチームのバスで席が隣になったんです。私は悔しくて水泳のことなんか一切考えたくなかったのですが、隣の彼が「智子さん、これからどうするの?」と聞いてきました。私が「わかんない。もう辞めちゃうかもね」と話をしたら、こう返してきました。「僕は2008年までやりますよ。メダル獲りたいですね」と。

 

二宮: つまり北京オリンピックまでやると。

萩原: 2004年にはアテネオリンピックもあるのに、「2008年まで僕はやりますよ」と言われました。アテネ、北京でしっかりメダルを獲った。しかも金メダル。だから、彼の先を見る力。見据える力は高校生の時からあったんだなと思っています。それが強く印象に残っていますね。

 

二宮: まさに有言実行ですね。

萩原: そうなんです。当時、私は笑って聞いていたのですが、今考えると“すごいな”と思います。

 

 心ないヤジ

 

二宮: あるオリンピックでメダルを獲れなかった選手は「税金泥棒」と言われたことがあるそうです。

萩原: 私も言われました。シドニーから帰った時に男性に「萩原智子!」と呼び止められて、「オマエ、国の税金使っているのに、メダルの1つや2つ持って帰ってこれないでどうするんだ」と。私は2種目に出場して、2種目ともメダル候補だったんです。だからそういう言い方をされたと思うんですが……。そんなことがあったので3、4カ月は外に出られなかった。怖くてずっと家で過ごしていました。

 

二宮: 皆が自分を責める気持ちを持っているんじゃないかと?

萩原: はい。でもそんな人ばかりじゃなくて、ごくごく一部なんですけどね。でも、そのおかげで強くなったという点もあります。何を言われても動じなくなりました。ただ私はそういうこと言われるのが多いんです。オリンピックへ行くに前も「調子に乗っている」と。女子のグループに「ハギトモと呼ばれていて、なんか調子に乗っているよね」みたいな感じで、「大嫌い。絶対応援しない」と言われました。

 

二宮: それもひどいですね。

萩原: 当時、20歳だったので、やっぱりショックは大きかった。ただ、その分、タフにはなりましたね。

 

二宮: 萩原さんは“ハギトモ”と呼ばれ、目立っていましたからね。

萩原: この間、ロンドンオリンピックで3個のメダルを獲得した背泳ぎの入江陵介君に取材をさせていただきましたが、彼がすごく自然体になっていたんです。それがすごく自分の現役時代に似ているなと思ったんです。当時、私はメディアからの質問に対し、全然思っていることと違うことを言うこともありました。本心を言えなかった。意地を張っていましたね。本当は苦しいのに「苦しくない。全然余裕です」みたいにカッコをつけて、一人歩きしていく萩原智子像に追いつかなきゃいけないと思っていました。入江君も昔そういうときがあったと。「今はすごく楽になった」と言っていて、とても気持ちがわかるんです。

 

二宮: 裃を着るようなところがあったんですね。

萩原: そうですね。でも私は復帰をした時はそれが全くなくなって、ほぼ自然体でいろいろな方と話せるようになりました。だから昔から取材してくださっていた方かからは驚かれました。「すごく変わったね」と言われるぐらいに。

 

 憧れは千葉すず

 

二宮: シドニーの後、オリンピックに出場することはできませんでした。

萩原: 2004年のアテネに関しては、体調を崩してしまい入院したこともあって、泳ぐことで精一杯でした。オリンピックに行きたいけど、泳げていることが幸せという。皆とは少し違う気持ちでした。

 

二宮: メダルに向かってガツガツ行くという感じは?

萩原: なかったですね。オリンピック選考会に向けて、できることをやろうと。“絶対何が何でも代表に入る”というシドニーの時とは気持ちが全く違いましたね。

 

二宮: アテネオリンピック出場を逃した後、一時は現役を引退します。2009年に復帰したのは、やり残したことがあったと?

萩原: 皆さんにそれを言われるんですが、やり残したという気持ちは全くないです。普通にアテネオリンピックを観ることができたし、2008年の北京オリンピックを観て“もう一回やろう”と決意しました。

 

二宮: その理由は?

萩原: ただ純粋にオリンピックがカッコいいと思ったんです。北京オリンピックの開会式に取材で行き、すごく感動したんです。その時に“もう一回、オリンピックを目指す人間になりたいな”と。日本に帰ってきてから、すぐに練習を始めようと、当時大学の職員だったので、大学に相談しました。主人にも話しましたが、「やると思っていた」と言われました(笑)。

 

二宮: 2012年ロンドンオリンピックの代表選考会を兼ねた日本選手権では50mと100mの自由形に臨みましたが、惜しくも代表権を勝ち取ることはできませんでした。そのまま2度目の現役引退。悔いはありませんでしたか?

萩原: 私が復帰の時にこだわったのは自分の泳ぎたい種目を泳ごうと。やっぱり楽しんでチャレンジをしたいので、自由形を選んだんです。

 

二宮: それはなぜでしょう?

萩原: クロールで泳ぐことも好きなのですが、何より千葉すずさんにものすごく憧れていたのが理由です。“千葉さんに追い付きたい”“千葉さんみたいになりたい”という思いが小さい頃からありました。だから再挑戦するなら自由形をやりたいと。

 

二宮: 千葉さんは生き方もカッコ良かったですね。

萩原: 千葉さんが日本代表の選考基準に一石を投じてくださって、それから選考会は明確な基準が設けられました。加えて日本代表の選手たちが着用する水着メーカーの自由化をできたのも千葉さんがコーチ陣に相談してくださったんです。

 

二宮: それまでは1社に決まっていたんですよね。

萩原: 1999年までは3社の持ち回りでした。千葉さんが復帰された年の国際大会後のミーティングがあったんです。上野広治先生(当時ヘッドコーチ)が「来年のシドニーオリンピックに向けて、チームへの要望、改善点などを挙げていこう」と話した時に、千葉さんが「水着を自由化にしてください」と発言しました。

 

二宮: 普通はなかなかそこまでは言えませんね。

萩原: 思っていても、なかなか言えないです。それで上野先生が「よしわかった。皆が自分に合った水着で泳ぐことがベストパフォーマンスに繋がるのであれば僕がなんとかする」と言って、シドニーオリンピックからは自由化になったんです。

 

 感謝を伝える場

 

二宮: 萩原さんは「水ケーション」という活動をされています。水を通じてコミュニケーション(通じ合う)とエディケーション(教育)を行うというものです。

萩原: 「水ケーション」は水が当たり前じゃなくて、水の存在に感謝をして泳ぎましょうということを伝えるイベントなんです。私は現役時代、水に対して何も思っていなかったんです。正直、当たり前にあるものだと。それが現役を辞めて登山をするようになった時に、山頂の山小屋の人が水を確保することが大変だということを教えてくださった。水は命ですから。それで水泳がどれだけ贅沢なスポーツだったんだろうと思ったことがきっかけなんです。

 

二宮: 子供たちに教えていく中で、手応えも?

萩原: そうですね。終わった後に話をしたり、感想文を読んだりすると伝わっていることを実感します。それに感動して“また頑張ろう”と思いますし、“もっと伝えていきたい”と考えています。子供たちには当たり前がありがたいことなんだと伝えるというよりは、共有する感覚です。押しつけがましく“こうだ”と言うのではなく、皆で森や水の中に入ることで感じてもらえればいい。「水ケーション」を通じて、水を大切にすること以外のことにも感謝の気持ちを持てるんじゃないかなと思っています。

 

二宮: 今後に向けて、「水ケーション」以外でも力を入れたいことはありますか?

萩原: あとは競技会強化ですね。山梨と福島と愛知の春日井で、萩原智子杯を開催させていただいます。その中からオリンピックで活躍できる選手が生まれてくるといいなと思っています。山梨と春日井に関しては競技会だけなんですが、福島は小学4~6年生を選抜して、合宿を行っています。その合宿自体は2年目に入りました。現場で子供たちの指導をしていると、とても勉強になりますね。

 

二宮: 以前、表彰式は上位3位までではなく、入賞した選手も称えられる場になればいいとおっしゃっていましたね。

萩原: 萩原智子杯でもまだ時間の問題で実現できていませんが、いずれはやりたいですね。2020年東京オリンピック・パラリンピック組織委員会でアスリート委員をやらせていただいているのですが、2020東京での“おもてなし”の1つとして提案はしました。表彰しなくても、「4位〇〇選手」とアナウンスされて、観客の前に現れるだけでも、応援に来てくれた人に感謝を伝えられる場にもなると思うんです。

 

二宮: 私、頑張ったよと。

萩原: もちろん悔しい選手もいると思います。私は4位だったので、シドニーオリンピックの表彰式がそうだったらどうかなと。でもやっぱり頑張った証しと、応援してくれた人たちにもう1回感謝を伝える場所が欲しいなと思うんです。

 

二宮: それはいいですね。ぜひ採用してほしいですね。

萩原: そうですね。表彰式が延びてしまうなど、時間の問題などがあり、なかなか実現は難しいかもしれないですが、日本っぽいかなと。それに子供たちのオリンピック教育にもなると思うんです。メダルを獲れなかったとしても、8位入賞がうれしい選手はいる。ベストが出て8位になった。表彰式で名前を呼ばれるだけで、子供たちが“この選手すごい”と感じるかもしれない。選手は4位で悔しいかもしれないけど、笑顔でも泣いていても“4位でも頑張ったよ”と手を振って、いいと思うんです。

 

二宮: さて、話は尽きないですが、そろそろお時間です。改めて、雲海酒造の本格芋焼酎『木挽BLUE』の感想は?

萩原: すごくスッキリしていて、飲みやすい。イモ党なので、大好きです。

 

二宮: ぜひお気に入りの1本に。過去にこのコーナーに出演していただいた田中雅美さんを含め、水泳選手はお酒に強い印象があります。萩原さんは?

萩原: 私が知る限り水泳界の2トップは田中雅美さんと寺川綾ちゃんです。私はすぐ顔が赤くなるのですが、長い時間、飲み続けられますね。日付が変わるまで、飲んじゃうこともあります(笑)。

 

二宮: では今度『木挽BLUE』で水泳界の方々と朝まで「飲みニケーション」しましょう!

萩原: いいですね! その日を楽しみにしています。

 

(おわり)

 

萩原智子(はぎわら・ともこ)プロフィール>

1980年4月13日、山梨県生まれ。小学2年で水泳を始め、中学3年時には200m背泳ぎで日本中学新記録樹立した。山梨学院大学附属高在学中のインターハイでは、200m背泳ぎで3連覇を達成。山梨学院大進学後の2000年、シドニー五輪に出場し、200m背泳ぎ4位、200m個人メドレーでは8位入賞を果たした。02年日本選手権では史上初の4冠を達成。04年に一度は現役を引退したが、5年後に復帰。翌10年には、30歳にして日本代表に返り咲いたものの、11年4月に「子宮内膜症・卵巣のう腫チョコレートのう胞」を発症する。手術後、懸命なリハビリの末、12年4月に行われたロンドン五輪代表選考会では決勝に残り、意地を見せた。現在は日本水泳連盟理事、2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会アスリート委員。テレビ出演や水泳教室、講演活動など多岐に渡る活動を行っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今回、萩原智子さんと楽しんだお酒は芋焼酎「木挽BLUE(ブルー)」。宮崎の海 日向灘から採取した、雲海酒造独自の酵母【日向灘黒潮酵母】を使用し、宮崎・綾の日本有数の照葉樹林が生み出す清らかな水と南九州産の厳選された芋(黄金千貫)を原料に、綾蔵の熟練の蔵人達が丹精込めて造り上げました。芋焼酎なのにすっきりとしていて、ロックでも飲みやすい、爽やかな口当たりの本格芋焼酎です。

 

提供/雲海酒造株式会社

 

<対談協力>

今澤

東京都新宿区新宿3-32-10

TEL:03-3356-1818

 

営業時間

17:00~24:00

 

☆プレゼント☆

 

 萩原智子さんの直筆サイン色紙を本格芋焼酎『木挽BLUE』900ml、アルコール度数25度)とともに読者3名様にプレゼント致します。ご希望の方はこちらのメールフォームより、件名と本文の最初に「萩原智子さんのサイン色紙希望」と明記の上、下記クイズの答え、郵便番号、住所、氏名、年齢、連絡先(電話番号)を明記し、このコーナーへの感想や取り上げて欲しいゲストをお書き添えの上、お送りください。応募者多数の場合は抽選とし、当選発表は発送をもってかえさせていただきます。締切は6月14日(木)。たくさんのご応募お待ちしております。なお、ご応募は20歳以上の方に限らせていただきます。

 

◎クイズ◎

 今回、萩原智子さんと楽しんだお酒の名前は?

 

 お酒は20歳になってから。

 お酒は楽しく適量を。

 飲酒運転は絶対にやめましょう。

 妊娠中や授乳期の飲酒はお控えください。

 

(写真・構成/杉浦泰介)


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