斜に構えた視線からの風刺の効いた社会批評が人気を集めた。コラムニストの名前はヤン・デンマン。SPIなる謎の通信社のオランダ人特派員という触れ込みで、週刊新潮で長きにわたり外国人特派員の雑談という体裁をとりながら「東京情報」というコラムを連載していた。ロシアW杯初戦まで、あと6日。デンマン風に今の日本代表を斬ってみた(もちろん創作です)。

 

「相変わらず日本は決定力不足だな」。眠い目をこすりながら英国人記者が語りかけてきた。日本が0対2で完敗したスイス戦を朝方までテレビ観戦したのだという。西野ジャパン初陣のガーナ戦もスコアは0対2だった。攻撃力の貧弱さは目を覆うばかりだ。「でもニシノは強気だぜ。(点を取る)“かたちはできてきた”と手応えを口にしていたようだな」。二日酔いのフランス人記者が話を引き取った。

 

「かたち? そんなものにこだわっているから日本は勝てないんだよ」。軽い身のこなしでブラジル人記者が近付いてきた。「日本人にとってパスは稟議書みたいなもの。回すこと自体に意味があると思っているのさ」。英国人記者が我が意を得たりとばかりに相槌を打った。「そうか“稟議書サッカー”ってわけだな。これを英訳するのは難しい。“忖度”も訳すのが大変だったけど……」

 

 サッカーには門外漢であるはずの米国人記者も話の輪に加わってきた。「不思議なのは日本には将棋という文化がありながら、それが生かされていないということなんだ」。そういえば、この米国人記者は史上最年少の15歳9カ月で七段に昇段した藤井聡太を追いかけ回していた。「スクールボーイは詰将棋の作品を自らつくることで強くなったと聞いたぞ。サッカーもPA内での緻密な詰将棋が必要だろう。それこそが几帳面な“日本人らしいサッカー”じゃないのかい?」

 

 酔いから醒めたフランス人記者が「ノン!」とつぶやき、机を叩いた。「今の日本人に几帳面さを期待しても無駄さ。公文書だって改竄する国なんだから……」。と、その時、いつものように遅刻して年老いたロシア人記者が現れ、自嘲気味に言った。「我が国には『プラウダ』(真実)という新聞があるが権力に不都合なニュースはない」。その場にいた全員が口を揃えた。「プラウダ!」

 

<この原稿は18年6月13日付『スポーツニッポン』に掲載されています>


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