グラクソ・スミスクライン株式会社が運営する喘息情報ウェブサイト「Zensoku.jp」にて、当HP編集長・二宮清純がナビゲーターを務める対談シリーズ「二宮清純のゼンソク人間学」が好評配信中です。このシリーズでは幼い頃から喘息に悩まされてきた二宮が、病気を克服して活躍しているスポーツ選手、元選手と対談。喘息をいかに乗り越えるかというテーマで話を進める中で、この病気への理解を深め、患者さんを勇気づけることを目指しています。今回は“パワフル・カナ”のニックネームで親しまれた元バレーボール選手の大山加奈さんと、喘息の専門医で社会医療法人宏潤会理事長の吉川公章先生との対談を実施。その前編を公開しました!

 当サイトでは対談の一部を特別にご紹介します。
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 寝られないほど苦しかった

二宮: 喘息発症はいつ頃から?
大山: 母の話によると1、2歳頃からのようです。夜中に症状が出て寝られなかったり、病院に行ったり……。仰向けになるとつらいので、座椅子にもたれかかって寝たこともあります。小さい時の記憶はおぼろげなのですが、喘息で苦しかった思い出だけは鮮明に覚えています。

吉川: それは大変でしたね。夜中に寝られなくなるほど苦しくなる状態が続くのは、かなり重症の部類に入ります。

二宮: 私は3歳で発症しました。ゼーゼーよりもヒーヒーいって、呼吸ができなくなる。周囲は「横になって休め」と言うのですが、むしろ、横になる方が苦しいんですよね……。症状がひどかったのはいつくらいまでですか。
大山: 発作が頻繁に出ていたのは、小学校5、6年までです。その後も季節の変わり目や、少し気持ちがホッとした時期に症状が出ていましたね。

二宮: ご家族で喘息の方は?
大山: 妹と弟も軽い喘息だとお医者さんから言われています。幸い、私のように発作が出たり、ひどい状態ではありませんでした。

二宮: バレーボールを始めたのは小学2年だったとか。最初のうちは練習にも支障が出たのでは?
大山: 影響はありましたね。私が最初に「バレーボールをやりたい」と言った時、両親は反対しました。合宿先で症状が悪化するといけないので、親が心配でついてきたほどです。他の選手と比べると持久力がなくて、走るのがものすごく苦手でしたね。当時は喘息のせいとは感じていなくて、“私は走るのに向いていない”と思っていました。
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 後編は9月3日に更新予定です。どうぞお楽しみに!
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