18日に韓国・仁川で開幕するアジアパラ競技大会には、22競技285名の日本選手団が出場する。パラリンピック競技においては、2年後に迫ったリオデジャネイロ大会に向けて、重要な大会となる。そのなかで金メダルへの期待が寄せられているひとりが、競泳男子の木村敬一だ。今大会はチームキャプテンにも抜擢された木村。自らの泳ぎでチームを牽引するつもりだ。
 木村は今大会、6種目に出場する。50メートル自由形、100メートル自由形、同平泳ぎ、同背泳ぎ、同バタフライ、200メートル個人メドレーだ。なかでも金メダルに最も近いのが、木村自身「世界でトップにいける可能性がある」と語る平泳ぎだ。実際、今年4月のドイツ・オープン(ベルリン)で出した自己ベスト(1分12秒28)は、今シーズンの世界ランキング1位となっている。だが、決して余裕ではない。なぜなら、最大のライバルがアジアに存在するからだ。

 ロンドンパラリンピック、100メートル平泳ぎで、木村は銀メダルを獲得した。4年前の北京では届かなかった初めての表彰台。しかも最も自信のあった50メートル自由形でまさかの5位に終わったこともあり、「水泳を続けてきて良かった。このためにやってきたんだなと感じています」と目に涙をにじませながら、喜びを爆発させた。だが、木村にとってそれは既に過去の栄光でしかない。

 木村の前に立ちはだかるのが、ロンドンで金メダルを獲得したYang Bozun(中国)だ。ロンドンでは序盤、Yangとトップ争いを演じた木村だったが、25メートル過ぎからYangに徐々に引き離され、結局5秒以上の差をつけられた。Yangは1分10秒11の世界新で金メダルを獲得した。今年4月に木村がマークした自己ベストも、Yangがもつ世界新記録とは、2秒以上差の差がある。

 さらに木村にとって“不気味”なのが、Yangが今シーズンのランキングに入っていないということだ。スランプに陥っているのではなく、大会に出場していないのだ。中学時代から木村を指導する寺西真人コーチによれば、「おそらくオフをとっていて、泳いでいないだけ」だという。しかし、アジパラには出場してくると寺西コーチはにらんでいる。もし、木村との対決が実現すれば、木村にとって本当の意味での“現状”が映し出されることになる。そして、2年後に迫ったリオデジャネイロに向けて、世界王者との勝負がスタートする。

「Yangとの差が決して小さくないことはわかっています。でも、今はとにかくそれを目標にしてやっていくしかない。何としても埋めるしかないなと思っています」と語る木村は現在、腕のかきと足の蹴りのタイミングや角度など、細かいフォームの修正を行なっている。そして、ロンドンでYangに引き離された後半の強さを求めているという。
「後半、どれくらい粘れるかということ。とはいえ、前半に比べては落ちてくると思うので、その中でどれだけ水に乗れている感を感じることができるかを課題としています」
 アジパラでは後半の泳ぎに注目したい。

 ロンドンで芽生えた第一人者としての自覚

 さて今大会の競泳チームの目標は、4年前の広州大会での51を上回るメダル獲得としている。だが、寺田雅裕監督は言う。
「確かに結果も大事ですが、それ以上に2年後のリオにどうつなげていくか、ということが、仁川では重要だと考えています。選手たちにも言いましたが、おそらく今回のメンバーがリオで主力になるでしょう。そのリオで結果を出すためには、チーム力が不可欠。だからこそ、今からリオに向けてチームづくりをしていきたい。仁川でどういうチームの姿を見せてくれるか、それが一番のポイントです」

 その寺田が迷うことなく男子のキャプテンに任命したのが、木村だった。そして、寺田の意見にスタッフ一同、誰ひとりとして反対した者はいなかったという。それほど木村が認められた存在であるということだろう。その理由は、ロンドン以降に見られる、木村の精神的な成長にあった。きっかけは、ロンドンでのある勝利にある、と寺田監督は推測している。

「これまでは河合純一(1992年バルセロナ大会から6大会連続でパラリンピックに出場し、通算21個のメダルを獲得)という大きな存在がありましたが、ロンドンではその河合に(100メートルバタフライで)勝った。それ以降は、“第一人者はオレだ”という自覚をもったのだと思います」
 
 木村はロンドンで世代交代の波を感じたのかもしれない。ロンドン以降の彼には、明らかに変化があったという。寺田監督によれば、木村は「努力型」というよりも、「天才型」だという。もちろん、それなりの努力はするが、どちらかというと練習が好きな方ではない。これまでは自分が嫌だと思うことは、はっきりと「嫌です」と主張してきた。ところが、ロンドン以降の木村は、嫌なことからも逃げようとせず、受け止めるようになった。キャプテン就任を引き受けたことも、そのひとつだ。

「わがままな選手は自分さえ強ければいいと考える。でも、木村は“チームでいい結果を出そう”という考えをもっているからこそ、今回キャプテン就任を承諾したんだと思います。私が電話をしてキャプテンを打診した時には『僕でいいんですか』と聞いてきたんです。『オマエがえぇねん』と言ったら『わかりました』と即答でした。おそらく、ロンドン以前の木村だったら、断っていたでしょうね(笑)。でも、今の木村はたとえ嫌でも『自分がしなければいけない時なんだろうな』ということを自覚している。だからこそ、引き受けたのだと思います。そういうところが、成長しているなと」
 寺田には既にリオまで木村にキャプテンとしてチームを牽引してもらいたいという気持ちがある。

 果たして、アジアパラでの競泳チームはどんな結果をもたらすのか。メダルの数のみならず、雰囲気や言葉の端々に映し出される“チーム・ジャパン”の姿にも注目したい。その中央には木村がいるはずだ。18日、2年後のリオに向けた戦いが仁川で幕を開ける――。

木村敬一(きむら・けいいち)
1990年9月11日、滋賀県生まれ。増殖性硝子体網膜症で2歳の時に全盲となる。小学4年から水泳を始め、単身上京した筑波大学付属盲学校(現・筑波大学附属視覚特別支援学校)で水泳部に所属。中学3年時に出場した世界ユース選手権大会で金、銀、銅と3個のメダルを獲得し、2007年の日本身体障害者水泳選手権では平泳ぎ100メートルで日本記録をマークして優勝。高校3年時に臨んだ08年北京パラリンピックでは5種目に出場し、100メートル平泳ぎと100メートル自由形で5位、100メートルバタフライで6位に入賞した。12年ロンドンパラリンピックでは、100メートル平泳ぎで銀メダル。100メートルバタフライでは銀メダルを獲得した。今年4月のドイツ・ベルリン大会では、100メートル平泳ぎで1分12秒28の自己ベストをマークし、今シーズンの世界ランキング1位。今回のアジアパラ競技大会では競泳チームの男子キャプテンに抜擢された。

(文・写真/斎藤寿子)