「オマエには得点を取れる力があるんだからな!」
 江直樹ヘッドコーチ(HC)から、そう発破をかけられて、若杉遥は勢いよくコートへと飛び出していった。その約2分後のことだった。レフトの若杉が一度自分のポジションで軽く床にボールを打ち付け、音を鳴らして相手の意識をレフト側に向けさせると、スススッと忍び足でセンター浦田理恵とライト安達阿記子の間へと移動。そこから思い切り腕を振って投げた。すると相手のレフトプレーヤーは一瞬、迷いが生じたのだろう。ディフェンス姿勢になるのが遅れ、腕が伸び切る前に、若杉の投げたボールが通り抜けていった――。若杉にとっては汚名返上の、そしてチームにとっては次につながる貴重なゴールだった。
「最後に1点差で終えられたことが大きいですね」。 試合後、江HCはそう言って、安堵の表情を浮かべた。この日、初戦を迎えたゴールボール女子は、アジアの最大のライバル、中国と対戦した。この大きな山場を乗り越えれば、金メダルは見えてくる。そして、金メダルを獲るためには、絶対に負けられない相手でもあった。

 速く、重いボールを投げてくる中国に対し、日本はこれまで守備からリズムをつくり、少ないチャンスをものにしてきた。2年前のロンドンパラリンピック決勝でも、そして今大会の予選を兼ねて行なわれた6月のアジアカップ決勝でも、日本は1−0のロースコアで勝っている。いかに日本が守り勝ってきたかがわかる。

 ところが、だ。前半開始早々、中国に先制を許した。「すごい回転をかけてくる」と江HCも警戒心を募らせていた、相手のライトから勢いよく投球されたボールが、センター浦田とライト安達の足の間のわずかな隙間を縫うようにしてゴールに吸い込まれていった。ボールがライトにあることを聞き分けた日本は、左へと守備シフトを移動。その逆をついた戦略的なゴールだった。

「まだまだこれからだよ!」
 気持ちを切り替えようと、鼓舞し合う日本。この時のコートでの3人の状態は決して悪くはなかったと安達は語る。
「みんな取り返せるという気持ちでいたので、そこで沈むことなく、これからとリセットをして立て直そうとお互いに声を出し合っていました。不安には思っていませんでした」
 ところが、そのわずか1分後には若杉がハイボール(攻撃側から投球されたボールの1バウンド目が、決められたエリア内よりも前だった場合のパーソナルペナルティ)をとられ、中国にペナルティスロー(反則をおかした選手ひとりで守備をする1対1での勝負)を決められてしまう。江HCが中国にノイズの反則(攻撃側のチームが投球する際に、音を出して守備の邪魔をすること)があったのではないかと抗議するも、これは認められなかった。

 中国に対して早い時間帯での2点のビハインドは、日本にとっては大きな痛手であることは間違いはなく、出鼻をくじかれ、集中力が切れてもおかしくはなかった。しかし、選手たちの様子に、ネガティブな雰囲気は感じられなかった。

 日本の戦略ははっきりしていた。狙いは、相手センターにあった。もともと中国は、センタープレーヤーからの攻撃が強い。そのため、日本はまずはセンターを崩すことで自分たちに流れを引き寄せ、突破口を開こうと考えていた。すると、そのカギを握った相手センターに、驚きの事実が発覚したのは試合当日のことだった。センターに入ったのは、ロンドンまでレフトプレーヤーの選手だったのだ。

「選手村に入った時に、その選手と久々に会いました。ロンドン以降は代表から外れていたのですが、この大会で復帰していたんです。代わりにアジアカップ、世界選手権での正センターが外れていた。いったい誰がセンターをやるんだろう、と思っていたら、彼女がセンターを務めることがわかったんです。彼女はウイングで使うと思っていて、他の選手のセンターを予想していたので、正直驚きました」(江HC)
 強いボールを投げられる選手をセンターに置くことで、中国はより攻撃的な布陣をしいてきたのである。そして、それが前半の得点に結びついたのだ。

 だが、日本にとってその布陣は決してマイナスだったわけではない。新しくをセンターを務めた選手は、守備に穴があった。足元へのボールにディフェンス姿勢をとらないことも何度か見受けられたほど、守備に雑な面が目立った。そのためか、レフトプレーヤーが中寄りに守備をしいていた。

 そこで江HCは後半に入ると、センターとレフトの間を徹底して狙うように指示した。相手にしてみれば、センターはレフト方向に、そしてレフトはセンター方向に意識がいっていたことだろう。それをうまく利用したのが、若杉のゴールだった。若杉は空き気味になっていた(日本から見て)ゴール右隅のポール際に決めた。正確なコントロールが求められる技ありのゴールだった。

 もちろん、まだ金メダルは諦めてはいない。中国と並んで日本のライバルとなるのが、ロンドン後に急成長してきたイランだ。予選で3カ国が勝ち点で並んだ6月のアジアカップ同様、中国とイラン、そして日本とイランとの試合の結果次第では、三つ巴になる。そうなれば、中国とメダルをかけて再度対戦する可能性も十分にあるのだ。

「今度はやられたボールで絶対にやり返します!」とキャプテンの浦田は意気込む。そのためにも、まずは第2戦で初白星をあげることだ。すべてはそこから始まる――。

(文・写真/斎藤寿子)