「よく耐えたな。良かったぞ」。後半開始直前、ベンチでは江直樹ヘッドコーチ(HC)が天摩由貴の横にそっと座り、背中をポンと叩いた。その時、天摩の目からは涙がこぼれ落ちた。
「それは汗ですよ(笑)」
 そう強がった後、天摩は涙の訳をこう語った。
「自分がやろうとしたことが全然できなかった。そんな自分がふがいなくて……悔しいです」
 その言葉の裏には、アスリートにとって不可欠な負けん気の強さと向上心が垣間見えた。
 20日、ゴールボール女子は第2戦で地元の韓国と対戦。0−0で迎えた後半、開始1分半で韓国がハイボールをおかし、日本にペナルティスローが与えられる。これを浦田理恵がしっかりと決めた。この1点を死守し、日本は今大会初白星を挙げた。格下の相手に厳しい試合となったが、日本にとっては初戦の中国戦と並んでヤマとなるイラン戦に向けて、そして2年後のリオデジャネイロパラリンピックに向けて、大きな意味をもつ試合となった。

 前日の中国戦に敗れた日本にとって、絶対に勝たなければならない試合だった。その大事な一戦に、江HCは前半、金メダルに輝いたロンドンパラリンピックからのレギュラーメンバーである浦田、安達阿記子を温存し、若手を起用した。チーム最年少19歳の若杉遥、22歳の欠端映子、そしてゴールボールプレーヤーになってまだ1年未満の天摩だ。

「韓国戦での一番のポイントは、若手がどれだけこの舞台で力を出すことができるかにありました。浦田と安達がいると、どうしても2人に甘えてしまう。次の世代の選手たちがもっとレベルアップしていかなければならないので、若手でいこうと」
 2年後に迫ったリオで連覇を狙うには、若手の底上げが不可欠であることは言を俟たない。その意味で今大会は、若手に場数を踏ませるいいチャンスでもある。

 しかし、緊張感がベンチにまで伝わるほど、3人の動きはかたかった。「こっちまで緊張しましたよ(笑)。こんなにドキドキしたのは久しぶりです」と江HCが語れば、キャプテンの浦田も「声が出ていないなぁ、と感じていました。みんな、いつもはもっとやれるのにと歯がゆい気持ちでいました」と、前半の様子を語った。

 なかでも天摩の緊張の度合いは半端ではなかったようだ。前半、センターを務めた欠端は、天摩の様子をこう語る。
「試合直前、ゴール前で3人で集まったときに、いつもより口数が少なかったので、すごく緊張しているのがわかりました」
 そこで欠端は、「大丈夫。隣にいるからね」と天摩の背中をポンと叩いたという。欠端自身、先輩たちにこうして緊張を和らげてもらってきたのだ。他の選手も、試合前の練習から「大丈夫だよ」「自信をもって!」と、天摩を鼓舞した。
「とにかく今、自分にできることをやろう」
 天摩はそう心に決めて、コートに立った。

 実は天摩はこれまで陸上を専門にしてきた。2年前のロンドンパラリンピックでは100メートル、200メートルに出場している。その天摩がスプリンターからゴールボールプレーヤーへと転向して、まだ1年も経っていない。今大会の予選を兼ねた6月のアジアカップには出場しているものの、これだけスケールの大きい大会はゴールボールプレーヤーとしては初めてだ。個人競技の陸上とはまったく違った緊張感が天摩を襲った。

「陸上では、何年かかけて気持ちをコントロールできるようになっていましたが、同じようにはいきませんでした。雰囲気も違うし、同じ緊張ではないですね」
 試合に入っても天摩の緊張は続いた。センターの欠端はライトの天摩からあまり声が出ていないことを感じていたという。

 プレー自体は無難にこなしているかのように見えたが、本人はまったく納得していなかった。韓国のディフェンスシフトは、3人が横に並列に並ぶ日本とは異なり、ライトとレフトがセンターよりも下がって守るピラミッド型だった。そのため、日本の戦略としては、手先、足先に、ストレートのボールではなく、アウトコースからクロスのボールを投げ込むというものだった。ピラミッド型のウィークポイントである隙間を狙い、さらにはクロスボールを投げることで、サイドプレーヤーをセンター側に引き寄せ、両サイドのポール際を狙うのだ。

 ライトに入った天摩が狙っていたのは、自分の真正面にいるレフトプレーヤーとセンタープレーヤーの間だった。だが、なかなかコントロールすることができなかった。クロスボールを投げるつもりが、ポール際へのストレートのボールが多かった。
「これが緊張なんだなと痛感しました。体が思うように動いていなかった。前半は12分間フルにゲームに出させてもらったのに……悔しいです」

 しかし、チームからの評価は決して低くはない。浦田はこう語っている。
「前半をしっかりとゼロに抑えたということについては、本人の自信にもつながっていると思うし、オフェンスでもいいボールが結構いっていたので、彼女への信頼がチーム内でより高まったと感じています」
 天摩にとって、そしてチームにとって、この1勝は決して小さくはない。

 初白星をあげた日本だが、その余韻にひたっている間はない。明日の第3戦ではイランと対戦する。6月のアジアカップでは予選で日本、中国、イランが勝ち点で並ぶ三つ巴となった。今やアジアでこの3カ国はどこが勝ってもおかしくはない様相を呈している。初戦で中国に負けを喫している日本にとって明日のイラン戦は、金メダルの可能性をかけた一戦となる。果たして、どんな戦いを見せてくれるのか。チーム力が問われる試合となりそうだ。

(文・写真/斎藤寿子)