ピッ。香西宏昭のシュートが決まった瞬間、鋭い笛の音がコートに鳴り響いた。相手ディフェンダーのファウルでバスケットカウントとなったのだ。電光掲示板を見ると、残り時間は34秒3。スコアは65−64と、イランのリードはわずか1点となっていた。緊迫した空気がコート中に広がる。すべての視線が注がれる中、香西の手から放たれたボールは美しい弧を描いて、ゴールへと吸い込まれた。65−65。試合はそのまま延長戦へと持ち込まれた。劇的な展開に、会場には異様な空気が流れていた――。
 22日、アジアパラ競技大会5日目。予選リーグを2位通過した車椅子バスケットボール男子は、準決勝でイランと対戦した。その大一番の直前、及川晋平ヘッドコーチ(HC)にコメントを求めると、「そろそろ強い姿を見せられると思っています」という言葉が返ってきた。
「これまでなかなか勝つことができなかったチームに勝てるかなと」
 表情も声も落ち着いてはいたが、コートに視線を送るその目は鋭かった。そして、「じゃ、また後で」と指揮官は笑顔でコートへと向かって行った。その笑顔に何かが起きる予感がした。

 イランはアジアで最大の強敵と言っても過言ではない。2004年アテネ、08年北京とパラリンピックに出場し、昨年日本代表に復帰したベテランの森紀之によれば、北京パラリンピックで負けて以降、日本は一度も勝つことができていなかったという。及川HC就任後も、13年に行われた世界選手権予選会で2敗、7月の世界選手権でも負けを喫し、3連敗となっていた。

 だが、実力差があるわけではない。3敗中、2敗は僅差での敗戦。7月の世界選手権では第3Qまでリードしていたのは日本だった。ところが、第4Qで26点もの失点を許し、4点差での逆転負けを喫した。この時、日本の課題として浮上したのが、層の薄さだった。どんどん選手を入れ替え、常にフレッシュな状態でプレーするイランに対し、日本は主力がほぼフル出場していた。そのため、最後にスタミナの差が出たのだ。

「全員バスケ」。及川HCも選手たちも、一様に課題として挙げたのが、これだった。誰が出ても、どんなユニットでもレベルを落とさずに戦うことができること。日本のチーム力アップには、ベンチメンバーの底上げが不可欠だと認識したのである。

 その課題は、この試合で見事にクリアされていた。負けることの許されない大一番のイラン戦に、及川HCは第1Qからどんどんメンバーを入れ替え、第2Qを含めた前半で既に12人全員がコートに立った。これが主力に余力を残した状態で入った第4Qでの追い上げにつながったのだ。前半を終えた時点でのスコアは29−32と、ビハインドはわずか3点。及川HCは十分に手応えを感じていた。

 第3Qは最大9点差と引き離されたが、豊島英、香西が立て続けにゴールを決め、4点差で勝負の第4Qへと突入した。序盤は一進一退の攻防戦となったが、中盤は流れがイランに傾き、最大7点差にまで広がった。しかし、終盤になると相手ファウルで得たフリースローを確実に決めるなどして、じりじりと追い上げる。そして残り2分を切って、藤本怜央、香西のシュートが連続で決まり、1点差とした。ところが、残り40秒のところで、イランにシュートを決められ、3点差とされてしまう。ここで、及川HCはタイムをかけた。イランに傾きかけた流れを断ち切るという狙いがあった。そしてこの時、及川HCは残り40秒の戦い方について、選手たちに確認したのである。
「スリーポイントではなく、早めのツーポイントでいこう」

 すると、試合再開して10秒も経たないうちに、香西がドライブでインサイドに切り込み、シュートを決めた。しかも相手ファウルをもらい、バスケットカウントでフリースローを得たのだ。これを香西は確実に決め、65−65。ついに同点に追いついた。この香西の好プレーに指揮官も驚きを隠せずにいた。
「ツーポイントで、と伝えたら、香西がドライブしてバスケットカウントをとったので、『なるほど、すごいな。よくやるな』と思いましたよ(笑)」
 藤本も「チームに流れを引き寄せたのは、間違いなく香西の力強いドライブに尽きます。彼のマンパワーには感謝したい」とチームメイトを称えた。
 試合はそのまま延長戦へと持ち込まれた。

 しかし、この時点で流れは完全に日本にあった。残り34秒で追いついた日本と、追いつかれてしまったイランとでは、勢いに差があるのは当然だった。延長戦に入っても確実にシュートを決め、リードを広げていく日本に対し、イランは疲労からか、得意のインサイド攻撃ができずに苦しんだ。残り2分からイランはファウルゲームをしかけてくるものの、ファウルをもらっては藤本、香西がフリースローを次々と入れ、その差を広げていく。実は、これは日本の狙い通りの展開だった。

「イランはファウルが多いチームなので、フリースローが勝敗を分けることになるとにらんでいたんです。だから、合宿でもずっと練習してきましたし、今朝もフリースローに時間を割いているんです」と及川HC。結局、延長5分間で日本は13本中11本ものフリースローを決め、84−75でイランを退けたのである。試合全体でも日本のフリースローの確率は目標の70%を超える76%で、26点を取っている。1点の積み重ねが、最後に勝利をもたらしたのだ。
「強い姿を見せられると思います」――指揮官の言葉が現実のものとなった瞬間、選手たちはハイタッチで喜びを爆発させた。

 大会最終日の24日には、地元・韓国との決勝に臨む。7月の世界選手権では2点差、そして今大会の初戦では1点差に泣いた。いずれも前半はリードしながらの逆転負けだった。その悔しさはもちろん全員が忘れてはいない。

 韓国は、ほんの数年前まで日本にとって格下の相手だった。だが今、形勢は逆転していると藤本は語る。
「(7月の)世界選手権まではライバルではあったものの、韓国には勝てるという甘さがありました。でも、事実連敗しているわけですから、もう格下ではないことは明らかですし、自分たちもそう認識しています。(24日の決勝は)僕たちは挑戦者として、韓国に胸を借りるつもりで臨みたいと思っています。あくまでも目標はリオで上位に入ること。そのためにも、今大会で積み上げてきた精度の高いバスケットでアジアの頂点をとりにいきます」

 その韓国戦は、完全アウエーとなることは容易に想像ができる。そんな中、日本はどう戦うのか。韓国戦のポイントについて訊くと、及川HCは涼しい顔で「これまで通りのことをやるだけですよ」と答えた。
「おそらく韓国主導のゲームにはならないと思っています。日本にはそれだけの力がある。相手がどうのというよりも、日本がしっかりと精度の高いバスケットをできるかどうか。それが勝敗を分けるポイントになると思います」

 そして、こう続けた。
「余計なことは何も要りません。とにかく韓国に勝つ。それだけです」
 アジアの頂点まで、あと1勝だ。

(文・写真/斎藤寿子)