豊かな自然に育まれ、海の幸、山の幸に恵まれた愛媛県は国内はもちろん、世界で活躍する人材も多数輩出してきた。かつては「野球王国」と呼ばれたようにスポーツも盛んで、さまざまな競技に名選手が生まれ、好成績を収めている。2017年には「愛顔(えがお)つなぐ、えひめ国体」の開催も決定。さらなるスポーツ熱の高まりが予想される中、元プロ野球選手の藤井秀悟さん(伊予市出身)、元女子プロレスラーでグラビアアイドルの愛川ゆず季さん(新居浜市出身)、スノーボーダーの青野令選手(松山市出身)が、愛媛県の食材を使ったイタリア料理店「ダ・ボッチャーノ」(東京・丸の内)に集まり、故郷の魅力を語り合った。

 青野「次の平昌五輪が最後」

二宮: 私(八幡浜市出身)も含めて全員が愛媛県人。楽しくスポーツの話題から愛媛の良さまで語り合いたいと思っています。まずは皆さんの近況から。藤井さんは昨季限りで引退し、巨人の打撃投手になりました。まだ現役で投げたいという思いもあったのでは?
藤井: そうですね。左ピッチャーですし、まだ需要があるかなと思っていたのですが、NPBからの誘いはありませんでした。独立リーグから誘いはあったのですが、現実は厳しかったです。

二宮: 藤井さんといえば、愛媛の皆さんがまず印象に残っているのは甲子園でしょう。今治西高のエースとして春のセンバツでベスト4の原動力となりました。
藤井: 阪神大震災が起こった直後ですから、ちょうど20年前ですね。野球人生を振り返ると、やはり2001年のヤクルトでの優勝が一番の思い出に残っています。先発ローテーションに入って活躍した(14勝をあげて最多勝)上で、優勝に貢献できたことがうれしかったです。

二宮: 打撃投手に転向するのは最初は葛藤があったでしょう?
藤井: 合同トライアウトを受けた際に、古巣の巨人から「バッティングピッチャーをやってみないか」と話をいただきました。「明後日、テストをするから来てくれ」と。それまでは、いかにバッターに打たせないかを考えて投げていたのに、2日後には気持ちよく打ってもらおうと必死になっている自分がいました(苦笑)。変化球を投げるにしても握りを変えて短い距離で打ちやすい回転にしたり、いろいろと難しいんです。

二宮: 青野さんはスノーボード・ハーフパイプでバンクーバー、ソチと2大会連続で五輪に出場しました。昨年、肩を手術したとか。
青野: 実は2年ほど前から着地で失敗した際に肩を痛めていたんです。くしゃみをしただけで脱臼してしまうくらいひどくなったので、病院で検査をしてもらったら骨が折れていました。万全な状態に戻そうと手術を受けることになりました。

二宮: 3年後の平昌五輪出場も見据えての手術だと?
青野: 次の平昌を競技生活では最後の五輪にするつもりです。その後はプロとして活動したい。ソチでは自分の演技ができず、悔しい思いをしました。だから、あと3年、悔いが残らないように競技としてのスノーボードに打ち込みたいと思っています。

藤井: 2回も五輪に出るってすごいですね。それも愛媛出身で冬の競技をやるのは大変では?
青野: 愛媛にはアクロス重信(東温市)という屋内ゲレンデがあったんです。でも、3年前に閉鎖になってしまって……。全国でもあんなにいい施設はなかった。アクロスがなくなってからは、夏場は海外に行かないと練習できなくなってしまいました。

 愛川「きっかけは有名になりたい」

二宮: それは残念ですね。愛媛からも青野さんをはじめ、トップクラスのスノーボーダーが何人も出ていたのに……。では、愛川さんが格闘技を始めたきっかけは?
愛川: 私は高校生の頃、とにかく有名になりたかったんです。有名になるには五輪に出るのが一番。それで女子選手が少ない競技を調べたら、テコンドーに出合ったんです。地元にテコンドーを習う場所がないので、上京して道場に通いました。

二宮: それが一転してグラビアアイドルに。街中でスカウトされたのでしょうか。
愛川: はい。渋谷で「グラビアアイドルになりませんか」と声をかけられました。有名になれればと、最初はバイト感覚でやっていたら、運良くいろんなところに出させていただいたんです。

藤井: よく『ヤングジャンプ』とかに出ていたのを見ていましたよ(笑)。当時は同じ愛媛出身とは知らなかった。
愛川: グラビアの仕事を始めてからは、ヤンジャンの表紙に出るのが夢になりました。それも半年くらいで叶ってしまったんです。次から次へとお仕事をいただいてテコンドーも一時、中断していました。

二宮: それからプロレスラーに転身したのは?
愛川: グラビアの世界は移り変わりが激しいので、どんどん若い子が出てきます。そんな時に事務所から「プロレスはどうだ?」と話が出たんです。

藤井: プロレスに登場した時は僕もビックリしました。めちゃくちゃ殴られたりしていましたよね? 
愛川: そうなんです。「アイドルの売名行為」と思われたようで既存の選手たちからは目の敵にされました。顔面をボコボコにされたり、両足を骨折したり、バスト100センチの胸を攻撃されて肋骨が折れたり……。でも、テコンドーを習っていたおかげで反撃ができたんです。転向して1年足らずでベルトも獲れました。

二宮: それはすごい。その後、2年連続女子プロレス大賞も獲得しますが、2年前に突然、引退を表明しました。
愛川: チャンピオンのまま、引退すると決めていたんです。毎週のように試合が続いて心身ともに限界でした。両国国技館で5000人以上を集めて引退興行を開くことができ、多くの人に女子プロレスを知ってもらうきっかけにはなれたのでは、と思っています。ツライこともたくさんありましたが、今となってはやって良かったですね。

二宮: でも、危険が伴うプロレスラーになるなんて、ご両親は大反対だったでしょう。
愛川: もちろんです。最初は上京すること自体、反対で、芸能界入りも止められました。その上、プロレスを始めたので、母は寝込んでしまいましたね(苦笑)。でも、引退試合はちゃんと観に来てくれてうれしかったです。愛媛でも故郷の新居浜と松山で凱旋試合ができたので、地元に恩返しができたかなと思っています。

 藤井「スノボーやってみたい」

二宮: 藤井さんは伊予市の出身。愛媛は野球どころだけに小さい頃から自然と始めた感じでしょうか。
藤井: 小学2年から地元のリトルリーグに入りました。中学からは松山のボーイズリーグに行って、同級生はほとんど松山商に進んだんです。でも、僕は野球と勉強を両立したかった。それで大学進学率も高い今治西に行くことにしました。

二宮: 近年は甲子園でも愛媛県勢が勝てなくなり、NPBで活躍する出身選手も少なくなりました。
藤井: 愛媛を離れてからは母校に限らず、愛媛県の出場校はどこも応援しているのですが、強いチームが少なくなってきているのは寂しいですね。野球に限らず、愛媛出身で頑張っている人がいると気になります。この年末年始、久々に実家に帰って箱根駅伝を観ていると、伊予市出身の選手(城西大・西岡喬介選手)が走っていたので、ぜひ一度、会いたいなと思っています。

二宮: 青野さんは松山市の生まれ。スノーボードを始めた理由は?
青野: 母の妹さんがスノーボードをしていて、それを見て「やってみたい」と感じたんです。滑ってみると、なかなかできない。それが悔しくてやっていくうちに、だんだん滑れるようになって楽しくなりました。

藤井: 確かに楽しそうですよね。僕もやってみたいという気持ちがありつつ、ケガをするわけにはいかないので現役時代はできませんでした。今は打撃投手で、これまたケガができない。まだしばらくは滑れませんね……。
愛川: 私は周囲がスキーやスノーボードをやる環境ではなかったので、全く縁がなかったですね。格闘技以外は、あまり運動神経が良くないので、たぶん転んでばっかりでしょうね(笑)。

藤井: 始めてどのくらいでうまくなったんですか。
青野: 初めて大会に出た時、子どもの部は3人しかいなかったんです。3人中3位で家に帰ったら、父に「ドベでおもしろいんか!」と怒られた(苦笑)。父はそれまでは全くスノーボードに興味がなかったのに、「練習に連れていっちゃる」と毎日、アクロスに通わせてくれることになりました。ちょうど手本になるうまい人もいて、目標にしていくうちにできるようになりましたね。

藤井: それでも、回転とか技ができるまではかなり時間がかかるでしょう?
青野: 1回目は怖いもの知らずで、力が抜けているので意外と簡単にできたりするんです。でも、それを2回、3回と続けてできるようになるのが難しい。

愛川: 失敗すると恐怖心が出てくるんですか。
青野: そうですね。あとブランクがあると怖くなります。毎日のように滑っていれば、怖さが消えるのですが、今回、ケガをして競技から離れているので、まずは恐怖心を取り除かなくてはいけないですね。

二宮: 愛川さんは新居浜出身ですから、同郷の先輩プロレスラーでは木村健悟さんや垣原賢人さんが有名です。
愛川: 木村さんの稲妻レッグ・ラリアットは私も継承させてもらいましたね。必殺技のゆずポンキックはテコンドーとクラシックバレエをやっていたので足が高く上がる長所を生かしました。

二宮: プロレスを途中で辞めたいと思ったことはありませんでしたか。
愛川: ダンプ松本さんと試合をした時には、さすがに「こんなのやってられない」と愛媛に帰りましたね(笑)。でかすぎて動かないし、竹刀でボコボコにやられるんです。

 青野「子どもたちの練習環境を」

青野: 新居浜といえば、僕はお祭り好きなんで、1度、朝3時に起きて太鼓祭りに行ったことがあります。地域で「連」が分かれているので、太鼓をかつごうとしても完全アウェー状態(笑)。昨年は祖母が西条にいるので、西条まつりにも行きました。
愛川: それはすごい。新居浜の太鼓祭りは、地元の人間としてはぜひ見に来てほしいです。スポーツ関係では最近、愛媛マラソンが大きなイベントになっていますよね。私も1度、走りましたが、沿道の声援がものすごく大きかったです。練習を全然していなくて6時間かかりましたが(苦笑)、根性で完走しました。

二宮: ところで愛媛はおいしい食べ物もたくさんあります。愛川さんオススメの郷土料理は?
愛川: 「ふぐざく」ですね。ふぐの皮を細切りにして、カワハギの肝やネギを入れてポン酢で食べます。めちゃくちゃおいしいですよ。

二宮: 確かにふぐざくは日本で一番と言ってもいいくらい。青野さんが好きなのは?
青野: 何でもおいしいですけど、強いていえば「ハギ刺し」ですね。年末に松山で釣りに行った時に漁ったのをさばいてもらって食べました。肝をまぶすと、おいしいですね。

二宮: 愛媛は2017年の国体に向けて、選手の育成や強化を進めているところです。愛媛のスポーツに関して何か思うところはありますか。
藤井: これは愛媛に限らない話でしょうが、子どもたちを相手に野球教室を開いても、結局は普段教えている指導者が昔のままのやり方では選手は伸びません。どんどんトレーニング方法も進化していますから、そういった情報を伝える場があればいいなと感じます。

青野: 僕はやっぱりアクロスのように、毎日、練習できる施設が必要だと思います。子どもたちにスノボー教室を開いても、今だと久万のスキー場など、やれる場所も時間も限られてしまう。スノボーは板のどの部分をたわませたら反発で高く跳べるとか、いろいろコツがあるんです。そういった感覚を小さい頃からつかむためにも、いつでもスノボーができる環境が復活してほしい。

二宮: 同郷となると年齢や競技は違えど、話は尽きませんね。また、ぜひ第2回をやりましょう。
愛川: 今日は本当に楽しかったです。やはり出身が一緒だと自然と応援したくなる。これからも活躍をチェックしていきたいです。実は愛川の「愛」は愛媛の「愛」からとっているんです。愛媛は大好きなんで、こういったつながりがもっとできればいいなと感じます。

二宮: 愛媛の皆さんが愛川さんの姿を観る上で、レギュラーで出演している番組などはありますか。
愛川: CS放送のサムライTVで「スターダム☆カフェ」という番組を月1回やっています。女子プロレスの魅力を毎回伝えているので、ぜひ観てください。

二宮: 青野さんは1日も早く復帰して、3年後の平昌五輪では愛媛にメダルを持って帰ってきてください。
青野: 平昌では何とかメダルがほしいですね。五輪に何回出ても、最終的には結果を出さないと評価されない。愛媛は松山空港に着くと、東京みたいに高いビルがないので空が広くてホッとするんです。地元の皆さんにいい報告ができればと思っています。

二宮: 藤井さんは第二の人生がスタートする1年になります。
藤井: 現役中は、なかなか他の競技の方と一緒になることがないので、いい機会をいただけて良かったです。料理も愛媛県の食材が使われていて、やはり魚がおいしかったですね。東京にも、こうやって愛媛をPRする場があるので、ぜひ出身の方はもっと地元をアピールしてほしい。「愛媛出身」と言ってくれれば、僕たちももっと応援しやすくなる。愛媛県人で協力し合って、盛り上げていきたいですね。

(おわり)



<対談協力>
ピッツェリア エ トラットリア ダ・ボッチャーノ
 イタリア、ナポリを再現した店づくりと「2012年ピッツァワールドカップ」チャンピオンの有光統括調理部長による瀬戸内の山と海の食材をふんだんに使ったイタリア料理が楽しめるお店です。

東京都千代田区丸の内2丁目7番2号JPタワー KITTE5F
TEL:03-3217-2013
営業時間:
月〜土 11:00〜23:00
日・祝 11:00〜22:00
年中無休
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藤井秀悟(ふじい・しゅうご)
1977年5月12日生まれ。今治西高時代は3年春に甲子園ベスト4。早大に進学後もエースとして通算24勝をあげる。00年にヤクルトに逆指名で入団。01年に先発で14勝をあげ、最多勝に輝き、チームの優勝にも貢献。07年オフに北海道日本ハムにトレード。09年にはリーグ優勝を果たす。FA権を行使して巨人に移籍。12球団からの勝利を達成した。12年にはFA移籍の人的補償で横浜DeNAへ。13年には開幕投手を務める。14年は初めて1軍での登板がなく、戦力外通告を受ける。12球団合同トライアウトを受けたが、NPB球団からのオファーはなく、現役を引退。今季からは巨人の打撃投手を務める。現役時代の通算成績は284試合、83勝81敗、防御率3.77。左投左打。
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愛川ゆず季(あいかわ・ゆずき)
1983年5月16日生まれ。海外留学を目指して上京後、テコンドーに取り組む。スカウトされて03年にグラビアデビュー。さまざまな雑誌のカバーガールなどを務める、その後、バラエティ番組でも活躍し、バラドルのポジションを確立。10年にプロレスデビューを発表。マット界でも活躍し、「ゆずポン祭」を開催するほどの人気レスラーとなる。11年、12年と女子プロレス大賞を2年連続で獲得。女子プロレス界に名を残すが、13年に引退を発表。現在は雑誌、バラエティ、映画出演などで活躍している。スリーサイズはB100/W60/H89。
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青野令(あおの・りょう)
1990年5月15日生まれ。小学4年よりスノーボードを始め、04年、05年とJOCジュニアオリンピックで連覇を達成。06年には15歳にしてシニアの大会であるFISキスマークカップで優勝を果たす。その後は日本代表として世界を舞台に戦い、06-07年W杯では日本人男子では初の総合優勝を成し遂げる。09年の世界選手権でも優勝を収め、同競技では日本人初の覇者となった。10年のバンクーバー五輪では決勝に進出し、9位。14年のソチ五輪にも2大会連続で出場した。現在は日本体育大学在学中。
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(構成・写真:石田洋之=宇和島市出身)