浦和レッズ、おめでとう! 10月24日、浦和がAFCチャンピオンズリーグ準決勝第2戦で韓国の城南一和をPK戦の末に破り、日本のクラブとして初の決勝進出を果たしました。まだアジアの頂点に立ったわけではありませんが、激闘を制しての決勝進出は日本サッカーにとって本当に価値のあることだと思います。


 今の浦和は、本当にチーム一丸となっています。過密日程の疲労も当然あるのでしょうが、サポーターも含めて、一致団結することで一つ一つの試合を乗り越えているんですね。
 ゴールランキングを見れば、そのことがよくわかります。J1第30節終了段階で、浦和は54ゴールを記録していますが、昨季26ゴールで得点王に輝いたFWワシントンは15点にとどまっています。残りの39ゴールはFW田中(9点)、MFポンテ(7点)、FW永井(6点)など他の選手が獲っているんですよ。

 つまり、1人に頼らず、どこからでも点が獲れるチームになっている。昨季はワシントンが爆発したので、他のチームは「今季はワシントンを抑えればいい」と考えたかもしれませんが、そうではなかった。ワシントンが囮になって田中やポンテが得点を獲るし、セットプレーからDF闘莉王やDF阿部が狙ってくる。選手全員の得点への意識が本当に高くなった印象があります。オジェック監督が1人に頼らないチームづくりを推し進めてきた結果でしょう。

 また、選手に声援を送り続けたサポーターの存在も大きかった。先の城南戦では平日にもかかわらず、5万1651人もの観客が埼玉スタジアムに集結しました。PK戦では、GK都築が城南の2人目FWチェ・ソングクを止めましたが、あの場面ではゴール裏からチェにプレッシャーをかけたサポーターの力が大きかったですね。

 浦和のサポーターは99年のJ2降格という苦い思い出を選手とともに乗り越えました。今は、チームを応援することに本当に誇りを持っているはずです。サポーターはチームがふがいないと、罵声を浴びせたりしますが、それはチームへの愛があってのこと。あれだけのサポーターの存在があったからこそ、浦和はここまでのチームに成長できたとも思います。決勝ではセパハン(イラン)を破って、欧州王者ミランや南米王者ボカが待つクラブW杯の切符をつかみとってもらいたいですね。

<大久保に覚醒の予感>

 17日にはアジア・アフリカカップのエジプト戦(長居)と北京五輪最終予選第4戦のカタール戦(ドーハ)の2試合が行われました。まず、エジプト戦は、来年2月に始まるW杯予選に向けて新戦力を見極める一戦でしたが、FW大久保がオシム監督の期待に応えてくれましたね。Aマッチ21試合目にして初ゴール。「やっと結果を残したな」という感じです。

 彼は切れ味鋭いドリブルなどFW高原(フランクフルト)にないモノを持っています。私の経験からすれば、彼のように失敗を恐れずにガンガンしかけてくるFWはディフェンスにとって本当に嫌な存在なんですよ。

 今までのAマッチでは、周囲からの高い評価が気の緩みにつながって、持ち味を出せなかったように思えました。しかし、今回のゲームでは「やってやる」という覚悟を感じられた。この2ゴールで大久保は“目覚めた”でしょう。高原との相性もよく、日本の攻撃にさらなる連動性を生んでくれる予感がありますね。

 試合全体を見ると、アジア杯初戦のカタール戦をほうふつとさせるセットプレーでの失点を喫したことは課題ですが、4−1は満足すべきスコアです。結果を残してくれたという意味で素直に評価したいですね。

<最終予選突破の鍵は“攻守の切りかえ”>

 一方、弟分のU-22代表は、後半ロスタイムの痛恨の逆転負けを喫してしまいました。私は、カタールのドーハと聞くと、どうしても“ドーハの悲劇”を思い出します。その因縁の場所で彼らもアウェーの洗礼を受けてしまいましたね。

 あの試合では、反町ジャパンの悪い部分が出てしまいました。彼らのサッカーは中盤でボールを奪って、素早く攻撃に転ずるというものですが、大事なところでパスミスが出て、リズムをつかめませんでした。そして、終盤での集中力ですね。サッカーでは、試合開始直後と終了間際が大切だと言われますが、その最後の集中力が足りなかったと言わざるを得ません。

 残り2試合では、攻守の切り替えが重要になると私は見ています。要するに、試合の空気を読むということ。先のカタール戦では、チームのために今何をすべきかといった個々の選手の判断が甘かった印象を受けました。具体例を挙げれば、MF細貝が相手の10番であるFWワリードをケアするあまり、彼に引っ張られて、スペースが空いていた。チームの方針だったとは思いますが、DFにマークを受け渡すなど柔軟な対応が必要でしたね。そのあたりを改善しなければ、北京行きは夢に終わってしまいます。気合を入れ直して、残り2試合に臨んでほしいものです。

● 大野俊三(おおの・しゅんぞう)<PROFILE>
 元プロサッカー選手。1965年3月29日生まれ、千葉県船橋市出身。1983年に市立習志野高校を卒業後、住友金属工業に入社。1992年鹿島アントラーズ設立とともにプロ契約を結び、屈強のディフェンダーとして初期のアントラーズ黄金時代を支えた。京都パープルサンガに移籍したのち96年末に現役引退。その後の2年間を同クラブの指導スタッフ、普及スタッフとして過ごす。現在、鹿島ハイツスポーツプラザ(http://business2.plala.or.jp/kheights/)の総支配人としてソフト、ハード両面でのスポーツ拠点作りに励む傍ら、サッカー教室やTV解説等で多忙な日々を過ごしている。93年Jリーグベストイレブン、元日本代表。

*ZAGUEIRO(ザゲイロ)…ポルトガル語でディフェンダーの意。このコラムでは現役時代、センターバックとして最終ラインに強固な壁を作った大野氏が独自の視点でサッカー界の森羅万象について語ります。


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