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上田晃平(中央大学硬式野球部/愛媛県南宇和郡愛南町出身)第1回「“個”から“チーム”へ」

「今、自分が抜けるわけにはいかない……」 今夏、上田晃平は苦しんでいた。3年となった今年、春は先発の一角を担い、リーグ戦で5試合に登板して2勝1敗、防御率2.67。同級生の島袋洋奨とともにチームを牽引
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木下拓哉(法政大学野球部/高知県高知市出身)最終回「目指すはアマ・ナンバーワンのキャッチャー」

「この人はすごい……」 2010年に法政大学野球部へ入部した木下拓哉は、入寮直後、法大と社会人チームのオープン戦を見学していた。木下は試合に出場していた先輩キャッチャーに衝撃を受けた。当時4年生だった
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木下拓哉(法政大学野球部/高知県高知市出身)第3回「備えていた“野球を見る眼”」

「木下は野球を見る眼がすごく優れていたんです」 島田達二は木下拓哉をキャッチャーに指名した理由をこう明かした。だが、なぜ木下をキャッチャーにコンバートする必要があったのか。当時の高知高では、2年生と木
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木下拓哉(法政大学野球部/高知県高知市出身)第2回「野球人生を変えた野手への転向」

 小学校に入る前、木下拓哉がいつも目にする光景があった。4つ年上で地元の少年団で野球をしていた兄と父親がキャッチボールしている姿だ。「僕もやりたいなぁ」。木下はそんな思いを募らせていた。すると、入学し
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木下拓哉(法政大学野球部/高知県高知市出身)第1回「名門を勝利に導く扇の要」

 法政大学野球部は東京六大学野球リーグでは最多の44回、大学日本選手権8回、明治神宮野球大会3回の優勝を誇る。そんな大学球界屈指の名門の正キャッチャーを務めるのが木下拓哉(4年)だ。昨年の六大学野球秋
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石橋良太(拓殖大学野球部/明徳義塾高校出身)最終回「投手転向への道のり」

「石橋、ちょっと投げてみろ」 高校2年の夏、高知県予選を前にしたある日のことだ。その日は雨が降っていたため、雨天練習場で練習をしていた。すると、馬淵史郎監督が石橋良太を呼び寄せた。石橋にはなぜ呼ばれた
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石橋良太(拓殖大学野球部/明徳義塾高校出身)第3回「プライドをもって臨んだ甲子園」

「史上最弱」と言われたチームの躍進は、その年の秋から始まった。県、四国を制した明徳義塾は、明治神宮大会では26年ぶりにベスト4進出を果たした。その理由を、石橋は次のように語っている。「なぜ勝つことがで
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石橋良太(拓殖大学野球部/明徳義塾高校出身)第2回「“常勝”から“史上最弱”へ」

 石橋良太には歳の離れた2人の兄がいる。幼少時代はサッカーに夢中になっていた石橋だが、2人の兄の影響もあって、小学1年から地元大阪府堺市の軟式野球チーム「長曽根ストロングス」に入った。最初は特に野球が
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石橋良太(拓殖大学野球部/明徳義塾高校出身)第1回「投手として生きる覚悟を決めさせた“敗戦”」

 2011年秋、石橋良太はそれまで抱いていたモヤモヤ感がなくなっていくのを感じていた。投手として生きる覚悟を決め、気持ちを切り替えて本気で取り組んでいこうと腹を据えたのである。石橋は、高校2年まで内野
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杉本裕太郎(青山学院大学硬式野球部/徳島県阿南市出身)最終回「輝きを見せ始めた原石」

「バッター1本でやっていきたいんですけど……」 高校卒業後、杉本裕太郎は青山学院大学に進学し、野球部に入部した。大学側はピッチャーとして期待を寄せていたが、杉本の心は違っていた。既にピッチャーとしての
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