二宮: 井原さんも長い間代表でプレーされた中で、いろいろなことがあったと思います。私の印象に残っているのは例のフランスW杯アジア最終予選、アルマトイでの加茂周監督の解任です。あれには選手もびっくりされたんじゃないですか?
井原: そうですね。突然のことだったので驚きました。あの時は長沼健さん(故人)が会長だったのですが、みんなの前で解任の話をされました。まだ予選中で監督が代わるとは思ってもみませんでした。
ただ、僕らは予選を突破することで必死だった。もちろん、監督が更迭された責任は感じていましたが、1週間後にはウズベキスタン戦が控えていたので、何が起ころうとW杯出場を信じてやるしかなかったですね。
二宮: 選手としてはそうでしょうね。その後日本代表は立ち直り、W杯出場を勝ち取りました。1次リーグであたったアルゼンチンとの試合は0−1で負けはしましたけど、素晴らしいゲームでした。開幕前には井原さん自身ケガをされて、出場できるか微妙と言われていましたよね。
井原: 練習中にヒザの靭帯を痛めてしまいました。その前にカズさん(三浦知良)、北澤豪、市川大祐が代表メンバーから外れて、そのタイミングで僕もケガをしてしまった。本大会まであと10日しかなかったので、よく試合に出場できたなと思いますね。
自分が指導者の立場になってみて思うのですが、もし、大事な試合の前に選手がケガをしたとしたら出場させるかどうかすごく議論になるでしょう。それでも試合に出すという決断をしてもらえたことにはありがたみを感じています。
二宮: アルゼンチン、クロアチア戦では1点ずつを失いましたが、守りに関しては100点と言ってよかった。あとはFWの差で負けたという印象ですね。アルゼンチンの得点はFWガブリエル・バティストゥータ、クロアチアの得点はFWダヴォール・シューケルでしたから。
井原: 確かに1点はしょうがないところがあったとは思います。結局、0勝3敗で日本に帰ったわけですが、勝ち点を取る難しさを感じたし、初めてのW杯で経験そのものもなかったなと。
Jに本物の外国籍選手を
二宮: もう1つ井原さん絡みで思い出すのは、Jリーグの開幕戦。93年のヴェルディ川崎対横浜マリノスです。あの試合、井原さんはヴェルディの柱谷哲二に削られましたよね。今でも強烈な印象に残っています。
井原: 何日か前までは一緒にW杯予選を戦っていた仲間同士ですからね。
二宮: 当時は今のように、人材豊富な時期ではなかった。「日本代表のディフェンスの中心選手がこんなことをしてケガでもしたらどうするんだ」。記者席ではそんな声が漏れていました。あの時、削られた井原さんの怒った表情が見えて、これは本気なんだなと思いました。と同時にこれでJリーグは成功するなとも思いました。
井原: そういうものじゃないですか。代表チームでは仲良くやっていても、所属チームに帰ればもう敵同士ですよ。
二宮: あの頃は本物の外国籍選手も多かったですよね。チームメートのラモン・ディアスはうまいFWだったでしょう。
井原: まさしく本物でしたね。彼のことなんてワールドユースの時にディエゴ・マラドーナと一緒にいたことくらいしか知りませんでした。日本に来た時はもう晩年でしたけど、それでも一瞬のスピードが早くて、うまかった。なによりJリーグ初代得点王として、しっかり名前を残しましたしね。二宮: Jリーグ2年目にジュビロにやってきたサルヴァトーレ・スキラッチはどうでしたか?
井原: スキラッチもうまかったですね。あの頃のJリーグにはW杯の得点王とかがいっぱい来ましたからね。当時の外国人の中では、パトリック・エムボマは一番嫌なFWでしたね。というのもどうにも止められない。体は強いし、スピードもある。
二宮: まずアフリカの選手ってリズムが違うでしょ。独特ですよね。あの人たちがコンディションがいい時はちょっと止められない。異次元でプレーしている感じがしましたね。
井原: あとは浮き球への対応が違いましたね。もちろんヘディングのパワーも違いましたけど、体が本当にしなやかだった。今も外国籍選手はたくさんいますが、名前的にはちょっと……。ジェフ千葉が今夏、ニューカッスルのFWマイケル・オーウェン獲得に動くというニュースが出ていました。選手の年俸も上がり資金的にも難しくなってきているとは思いますが、ぜひ獲得して欲しいですね。
二宮: オーウェンを獲ったら対する日本人のディフェンダーは励みになるでしょうね。レベルも上がっていく。井原さんも現役時代、こいつは止めてやろうという気持ちがあったでは?
井原: それはありますよ。僕の現役時代はジョルジーニョもいたしレオナルドもいた。そのような状況で試合を戦っているわけですから、例えばブラジルと対戦しても普段一緒にJリーグでプレーしている選手とあたるので、そのあたりの感覚が肌で分かるわけですよ。それをまったく知らないで対戦していたとしたら名前だけでびびっていたかもしれませんね。
二宮: レオナルドやジョルジーニョは間合いが違いましたよね。ブラジルの選手は不思議な間合いを持っている。
井原: やはり常に厳しいプレッシャーの中でプレーしてきているから、ボールを自分の足元から離さない。コントロールのミスが少ないんですよ。ボールをどっちに止めたら次のプレーをしやすいかなどの判断も素晴らしい。そういうものを常にレベルの高いところでやっているから自然と体に染み付いている。なにより彼はミスをしないんですよ。そのあたりはやはり質が違う。
二宮: ジーコはあれだけ年をとっても、ボールコントロールはすごかったですからね。
井原: ミニゲームしてもめちゃくちゃうまかった。ドラガン・ストイコビッチにしてもそうでした。リティ(ピエール・リトバルスキー)は今でもフリーキックを蹴らせたら、すごいものを蹴れるって言ってましたから。
二宮: リトバルスキーのフリーキックを見て驚いたのは、みんながジャンプした下を狙って打ったシュートですね。あそこまで読み切っているのかと思いました。
井原: 今やボールも軽量化されて、GKにとっては本当に嫌な進化を遂げていますよね。ボールも飛ぶし、変化するのでキャッチしづらくなっています。
二宮: 無回転キックなどを打つ選手も増えてきましたよね?
井原: そうですね。無回転だと正面でも取れないことがありますからね。ただそれは裏を返せば1つの武器になると思います。そうなると押し込んでいかにファールをもらえるシチュエーションをつくりだすのかも鍵になってくるでしょう。
アルマトイではお酒にお世話になりました
二宮: なにかお酒に関するエピソードはありますか?
井原: 今だから言える話ですが、アルマトイで加茂周監督が更迭になった時はお酒にお世話になりましたね。
二宮: みんなで飲みましたか?
井原: はい。残りの予選があったので、そこでまたチームが一致団結できるようにと。お酒は現地にあるお店で買いました。
二宮: 結構飲まれました?
井原: 二日酔いになるくらい飲みました。カズさんとか山口素弘、ヒデ(中田英寿)もいましたね。その時はお酒がチームの一致団結に一役買ってくれました。あのときの酒宴がなかったら、もしかするとフランスには行けなかったかもしれませんね。
>>前編はこちら
(終わり)<井原正巳(いはら・まさみ)プロフィール>
1967年9月18日、滋賀県出身。筑波大学卒業後、日産自動車サッカー部(現横浜F・マリノス)に所属、日本代表に選ばれ長年、主将を務めた。国際Aマッチは122試合に出場(日本歴代No.1)。W杯予選には90年イタリア大会から。94年「ドーハの悲劇」の屈辱をバネに98年、念願のフランスW杯へ日本代表を導く。その鉄壁な守備は「アジアの壁」と恐れられた。2002年限りで現役引退後は公認S級指導者ライセンスを取得する一方、サッカー解説を行いながらサッカーの普及活動に力を注ぐ。06年8月、U−23日本代表(五輪)コーチに就任。
★本日の対談で飲んだお酒★
世界的な酒類・食品などのコンテスト「モンドセレクション」のビール部門で、3年連続最高金賞(GRAND GOLD MEDAL)を受賞したザ・プレミアム・モルツ。原料と製法に徹底的にこだわり、深いコクとうまみ、華やかな香りを実現しました。
提供/サントリー株式会社
<対談協力>
MALT BAR WHISKY VOICE in お台場
東京都港区台場2−3−3 カトラリーハウスB1
TEL:03-3529-6381