アスリートにとって「酸素」と「水」は必要不可欠である。しかし、現代社会はさまざまな要因で「酸素」が不足がちだ。そんな中、「酸素」と「水」をコラボレーションさせた株式会社ラクデスの「高濃度酸素水」が今、注目を集めている。業界最高レベルの酸素含有量80〜120ppmを実現した “スーパー酸素水”を各競技で活躍するアスリートに試してもらった。
アテネ、北京と2大会連続でオリンピックに出場した元女子バレーボール日本代表の杉山祥子。彼女の原点は生まれ故郷、静岡県駿東郡小山町にある。人口約2万人の小山町は北西端が富士山の頂へとつながっており、富士山を源とする川がいくつも流れている。そのため、たとえ水道水であってもきれいで美味しい水を飲むことができる。そんな環境で育った杉山は、水の味には敏感だ。高校卒業後、18歳で上京してきた際には、東京の水事情には驚いたという。
そこで水道水の約30倍の酸素濃度を有する「有酸素生活」と、バナジウム水に高濃度な酸素が含まれた「バナ酸素水」を約1カ月間、試飲してもらった。
「口あたりがよくて、すごく飲みやすかったですね。練習の合間合間に水分を摂るようにしているのですが、喉の通りがいいのでゴクゴクいっちゃうんです。多いときには1日500ミリリットルを2、3本飲むのですが、普通の水だったらそんなに飲むのは無理でしょうね。それと、酸素が体中にいきわたって、練習後の疲労回復にも効いている感じがします」
地元と同じ富士山の水とバナジウム水が使用されているだけに、杉山は「有酸素生活」と「バナ酸素水」がすっかり気に入った様子だ。
1点の重みを知った春高バレー
杉山がバレーボールを始めたのは小学6年の時。仲のよかった友人につられて、地元のスポーツ少年団のバレー部に入ったのがきっかけだった。当時、彼女は身長165センチだったが、他にも彼女より身長の高い子がいたため、それほど目立った存在ではなかったという。だが、中学に入ると杉山だけがどんどん伸びていった。
「身長を測るたびに5センチずつくらい伸びていました。足も大きくなっていくので、上履きの親指に穴が開いてしまって、よく買い換えていたことを覚えています(笑)。中学を卒業する時には身長は181センチありました」
中学でもバレー部に所属した杉山。さぞかしバレーが好きだったのだろう、とその理由を訊ねてみると、意外な答えが返って来た。
「小学校の時にバレーをやっていたからという流れで中学でもバレー部に入りましたが、その頃はバレーが特に好きだったというわけではなかったですね。小学6年の時にはミニバスケットもやっていたのですが、そっちの方が楽しいと思っていたくらいです」
中学でのバレーは“遊び”の延長でしかなかったという。練習は1時間〜1時間半ほどで終わり、日の暮れる前には帰宅していた。大会は県大会どころか、その前の東部大会にすら進むことができず、勝負の世界とは無縁の3年間を過ごした。
そんな杉山の元に強豪校からのオファーがきた。県では常にトップを誇る富士見高校からだった。実は杉山の両親は元バレー選手。母親が所属していた東レの監督が知人であった富士見高の監督に杉山の存在を紹介したのがきっかけだった。練習を見学に行った杉山は「果たして、ここでやっていけるのだろうか……」と不安で仕方なかったという。そんな彼女に富士見高に入る決心をさせたのは、自らの身体に対する“焦り”だった。
「当時は自分の身長がどんどん伸びていって、『何かしなくちゃいけない』という気持ちに駆られていました。こんなに大きいのに何もできなかったら、それこそ“ウドの大木”になっちゃうって思っていたんです」
全国トップクラスのバスケットボール部からの誘いもあった。上京してモデルになることも考えた。しかし、彼女が選択したのはバレーだった。「自信はなかったのに、なぜかやってみようかなと思っちゃったんです(笑)」と杉山は言うが、やはり彼女とバレーは切っても切れない縁だったのだろう。
しかし実際に入ってみると、想像以上の厳しさだった。周りはほとんどが全国大会を経験しているような子ばかり。楽しいだけでやってきた中学時代とは練習の量もレベルもまるで違っていた。
「中学時代はほとんど技術らしいことは指導されていなかったので、高校入学直後は基本的なこともできなかったんです。オーバーパスもうまくできなければ、サーブはネットを越えませんでした。そのうえ体力もなくて、過呼吸にはなるし、鼻血は出すし……。先生もきっと“えらい子をとってしまった”と思われたんじゃないでしょうか(笑)」
それでも辞めずに続けられることができたのは周囲の支えがあったからだと杉山は言う。
「あまりにも何もできなさすぎて、怒られるというよりも、しっかりと先輩方から教えてもらえたんです。簡単なことを一つ一つできるようになっていって、それが試合でも使えるようになって……。どんどんバレーが楽しくなっていきました。今でも片足のスパイクができたときのことはよく覚えています」
高校2年の春には、高校生の憧れ、全国高校バレーボール選抜優勝大会、通称“春の高校バレー”にもレギュラーとして出場した。バレー部員にとって、東京・国立代々木競技場・第一体育館はバレーの聖地だ。杉山はその天井の高さとオレンジコートの鮮やかさに感動した時のことを今でも鮮明に覚えているという。しかしその半面、杉山にとってバレーボールという競技の怖さを初めて知った大会ともなった。
1、2回戦を突破し、16強入りを果たした富士見高は3回戦で大成女子高校(茨城)と対戦した。第1セット、先にセットポイントを迎えたのは富士見高だった。しかし、サーブミスから相手に流れが傾き、逆転で奪われてしまった。そして第2セットも先にセットポイントを迎えたにもかかわらず、スパイクミスから逆転。結局ストレート負けを喫した。
「セットポイントを迎えて“勝った!”と思っちゃったんでしょうね。1、2セットともに、目の前にあった勝利がスルリと手から滑り落ちてしまいました。1点の大切さを初めて学んだのはその時だったと思います」
杉山にとっては今でもかけがえのない思い出、そして教訓となっている。
オリンピックで味わった世界との壁
高校卒業後、杉山はバレーボールの名門、NEC<NECレッドロケッツ>に入社した。しかし、当初彼女はバレーを仕事にするつもりはなかったという。春高をきっかけに杉山は全日本ジュニア代表に選ばれ、国際舞台を経験するなど、将来を有望視される選手の一人だった。だが、杉山自身はオリンピックどころか、とても国内トップのチームで自分がやっていけるとは思っていなかった。そのため、NECの吉川正博監督(当時)が何度も杉山の元に足を運んでもなかなか首を縦に振らなかった。
「やっていける自信がなくて、決断することができませんでした。それでも何度も監督は来てくれるし、もう精神的に追い込まれてしまって、最後は思わず『はい』って言ってしまったという感じです。そしたら、その場で泣いちゃったんです。『あぁ、とうとう返事しちゃった』と思ったら、涙が出てきてしまった。監督もビックリしていたと思います。
両親は私以上に心配していたようです。後で聞いた話ですけど、NECでは一生ボール拾いで終わるんじゃないかって。それだったら、もっと下部のチームで試合に出られる方が、私にとってはいいんじゃないかと考えていたようです」
しかし、杉山は1年目からレギュラーとして活躍し、見事新人賞に輝いた。「ケガ人が出て、出ざるを得なかった。ブロックだけはできたので、ブロック要員として入っていただけ。運がいい」と本人は謙遜するが、決してそれだけではないことはその後の彼女の活躍を見れば一目瞭然である。
初めて日本代表に選ばれたのは2000年のシドニー五輪最終予選だった。チーム最年少、国際舞台の経験も浅い杉山は当初、ベンチ要員だった。しかし、センター陣の相次ぐケガで彼女はスタメン起用された。
「当時の自分も日の丸の重さや、その試合の重要さとかはわかっていたつもりでしたけど……今考える方が怖いですね。あの時はわけもわからず、『とりあえずやるぞ!』と勢いでやっていました」
結局、日本はオリンピックの切符をつかむことはできなかった。1964年の東京大会から灯し続けてきた連続出場の火が消え、女子バレーボール界は暗い影に覆われた。責任の重大さや激しいバッシングによって、「バレーを辞めたい」という選手が相次いだ。実際に引退した選手もいたほどだ。
しかし、杉山の気持ちは違った。自分たちで逃したオリンピックを自分たちの手で取り戻さなくてはいけないと思ったのだ。杉山はその後の4年間、アテネを目指し、苦しい練習に耐え続けた。
「全日本はトップの選手が選抜されてきますので、ポジションが確約されていません。ですから、自分でとりにいかなければいけないんです。そのためには自分の特徴を出すこと。私はずっと速さにこだわってやってきましたが、時には激しいポジション争いの中で、自分を見失うこともあるんです。他の選手を見て、パワーや器用さといったものを追い求めてしまったこともありました。でも、ふと我に返って『自分は何で選ばれているのか』ということを考えて、また自分を取り戻したり。そういった気持ちの葛藤もありましたし、練習も本当に厳しくて何度も逃げ出したくなりました」
杉山以外の選手もそれぞれの思いを抱えながら苦しみを乗り越え、戦い続けた。その結果、全日本女子はアテネ五輪の切符をつかみとった。2大会ぶりの出場を決めた最終予選では、大歓声の中で選手たちは皆、うれし涙にくれた。しかし、その喜びはアテネの地で砕け散った。1次リーグは2勝3敗。うち3敗はブラジル、イタリア、韓国にストレート負けの完敗だった。ギリギリで決勝トーナメントに進むも、同じアジア勢の中国から1セットも奪うことができずに終わった。
「ここからが本番だということはわかっていました。でも、初めてのオリンピックでもあったし、自分自身がフワフワしていて、地に足がついていない感じでした。それではいけないと思いながらも、やっぱりオリンピックに行けたことで満足してしまっていたのかもしれません」
帰国すると、マスコミから「次は北京を目指しますか?」と聞かれたが、杉山はすぐに気持ちを切り替えることはできなかった。シドニー五輪最終予選敗退から戦い続けてきた日々を思うと、そう簡単に4年後を考えることなどできなかったのだ。しばらくして、杉山が行き着いた答えは「1年1年、精一杯やろう」ということだった。そして、その言葉通り、1年1年積み上げた結果が昨夏の北京五輪だったのだ。
「やっぱり世界の壁は厚いなと思いました。そう簡単にメダルには届かないんだということが改めてわかりました」
杉山は北京での戦いについて、こう語った。予選リーグ2勝3敗で決勝トーナメントに進出した日本はアメリカに敗れ、アテネに続き、5位に終わった。オリンピックでの表彰台に近づくことはできなかった。
酸素水で代謝がアップ!
現在、全日本女子は既にロンドン五輪に向けて始動している。しかし、そこに杉山の姿はない。彼女は代表を辞退し、国内リーグの最高峰Vリーグに専念することを決めたのだ。30歳の杉山はチームでは最年長。今シーズンはキャプテンの座はおりたが、若手の多いチームにとって心身ともに大黒柱であることにかわりはない。今は今月に開幕するリーグ戦に向けて日々、チーム練習に励んでいる。
試合で高いパフォーマンスを見せるためには、体調管理も重要な要素の一つだ。そのためにも日々の練習に水分摂取は欠かすことはできない。特に実業団に入ってから水分がどれだけ重要かを学んだという杉山は、たとえ飲みたいと感じていなくても、必ず口の中を湿らす程度くらいは水分を摂ることにしている。
「喉が渇いたと感じてから飲むのでは遅いと言われたので、こまめに摂るように心がけています。代表でもチームでも、練習の合間に飲む時間をしっかりと取ってくれるので、その時にはきちんと口に水を含むようにしていますね」
今ではどのような時にどのくらい摂取すればいいのか把握している杉山だが、若い頃にはちょっとした失敗もある。
「一番気をつけなければいけないのは夏場ですね。すごく汗をかくし、喉が渇くので、ゴクゴクと飲んでしまいがちですけど、それでご飯が入らなくなってしまったこともありました。水っ腹のようにポチャポチャになって、お腹が痛くなったり……。それこそ10代の頃は欲するままに飲んでいましたね。でも、いろいろな経験を積むことで、その辺の管理もできるようになってきました。バレーの技術と同じですね」
杉山は普段、あまり汗をかかない。チームメイトが皆、汗をかいて着替えに行っても、彼女は首まわりを少しタオルでふき取るだけで済んでしまうのだ。ところが、最近になって体質が変化していることに気づいたという。
「この間、ふと思ったのですが、最近よく汗をかくようになったなぁと。前まではちょっと汗をかくくらいだったのに、最近では夏でもないのに髪の毛から滴り落ちるくらい汗をかくんです。思えば『有酸素生活』と『バナ酸素水』を飲むようになってからだと思います。おそらく代謝がよくなっているんでしょうね」
また、トレーニングの最後には持久力を養うためのランニングが課されることもある。そんな時には、酸素水が何よりのごほうびになるのだと杉山は言う。
「結構長い距離を走るんですけど、終わって息苦しいときに酸素水を飲むと、体中に酸素がいきわたって、すぐに息が整ってしまうような感じになるんです。みんな、ハァハァ言いながら『酸素が足りない、酸素が足りない』って言ったりするんですけど、『よし、酸素が入ったから回復!』みたいな(笑)」
体も心も万全に整え、リーグ開幕に備える杉山。チームは4シーズン、優勝から遠ざかっている。これまでは代表の試合や合宿でチームを離れることが多かった杉山だが、今シーズンはチームメイトと多くの時間を共有することができる。それだけにチームへの責任感もこれまで以上に感じている。
「プレーではもちろん、コート以外のところでもしっかりとチームをサポートしていきたいと思っています」
今シーズンは、杉山祥子にとって新たなバレーボール人生のスタートとなりそうだ。
<杉山祥子(すぎやま・さちこ)プロフィール>
1979年10月19日、静岡県生まれ。小学6年の時にバレーボールを始め、富士見高校2年時には全国高校バレーボール選抜優勝大会でベスト16に進出。その後、全日本ジュニア代表に選ばれ、国際大会を経験した。98年、NEC<NECレッドロケッツ>に入社。同年、Vリーグ新人賞を獲得し、翌年にはリーグ史上初の全勝優勝に貢献した。2000年シドニー五輪最終予選から全日本入り。アテネ、北京と2大会連続で五輪出場を果たした。
(斎藤寿子)
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