Jリーグ初代チェアマンの川淵三郎(現日本サッカー協会最高顧問)には、リーグ誕生前から折に触れてインタビューを行ってきた。1年目のシーズンが終わった直後だから93年の冬だ。「20年後、Jリーグはどうなっているでしょう?」と問うた。川淵は「20年後? フッフッフッ」と含み笑いを浮かべ、遠くに視線を投げるようにしてこう答えた。「まぁ日本における選手の供給源の実情を考えるとトップが16で2部が16、合計32チーム。これが望ましい姿かな」
桃から生まれた「桃太郎」ほど日本人に愛され、親しまれているおとぎ話は他にあるまい。道中で遭遇したイヌ、サル、キジを従え鬼ケ島に鬼退治に行き、颯爽と宝物を持ち帰る。絵に描いたような勧善懲悪の物語である。
「これは僕の人生観なんだけどな」。根本陸夫はギロッと目をむき、未熟なインタビュアーの表情が強張っていると見るや、一転、険しい視線を解いて諭すように言った。「人間、墓場には何も持っていくことができない。だったら次々と高い次元を目指して挑戦していった方が、どれだけ楽しいか。死ぬ前に“オレの人生も悪くなかった”と思えれば、もうそれで十分だよ」
伊東浩二が10秒00を叩き出したのは1998年12月のことだ。バンコクアジア大会準決勝が、その舞台だった。実はフィニッシュ直後のゴールタイマーが示した数字は「9・99」。会場がひとしきり沸いた直後に発表された正式タイムは「10・00」だったが、この瞬間、夢の9秒台はもう時間の問題と思われた。
清原和博が西武からFA宣言した時のことだ。当時、阪神の監督だった吉田義男は、交渉の席で「縦じまのユニホームを横じまに変えるぐらいの意気込みで来ている」と力説して、虎党の一部からヒンシュクを買った。
吉田にすれば、巨人入りを阻止するための“殺し文句”だったわけだが、少々、言葉が過ぎた。縦じまはタイガースのアイデンティティーそのもの。もし清原が「じゃあ、横じまでお願いします」と返したら、球団は、いったいどうしていたのだろう。シマウマのようなユニホームでは、戦闘意欲も湧くまい。








