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投稿日時: 2010-08-13 16:56:24

 ミネソタの病院で医師から、納谷は余命一年と告げられた。
 ただし――生き続けるには一つだけ方法があると付け加えた。
「肝臓を移植することです」
「それで生きられるのか?」
 納谷は通訳に尋ねた。

(写真:1950年ブラジルW杯決勝、ブラジル対ウルグアイの試合には二十万人以上の観客が詰めかけたという。歴史あるスタジアムである)


投稿日時: 2010-07-09 20:31:30

 半年ほど前から、体調が優れなかった。
(暑さに弱くなった。50才に近くなって身体が弱くなったかな)
 三浦知良の父親、納谷宣雄は照りつける太陽を眩しそうに見上げた。身体がだるく、立っていられないほどの疲労を感じた。
 試合が始まってから20分ほどと早いが、審判をしていた納谷は笛を吹いて試合を中断した。

(写真:日本人学校のサッカー教室には、ブラジルに住んでいた頃、知良や泰年も姿を現した)


投稿日時: 2010-06-11 10:21:00

 週刊誌の現場は楽しかった。
 芸能、事件などを追いかけ、様々な人に話を聞いた。仕事を覚えるために最初は、必死で走り続けるしかなかった。
 そのうち、自分の中で不満が溜まるようになってきた。

(写真:日本からの移民は、第二次世界大戦後、リベルダージと呼ばれる地区に集まった)


投稿日時: 2010-05-14 15:34:38

「おう、ここだ」
 待ち合わせのホテルの喫茶店に入って、辺りを見回していると、野太い声がした。声の方向を見ると、白髪の男が手を挙げていた。
 ずいぶん予想と違っていた。


投稿日時: 2010-04-09 18:43:15

 しばしば、人生は自分の意志と関係なく重要なことが決まってしまうことがある。そもそも、ぼくがスポーツを描くようになったのは偶然だった。
 ぼくが大学を卒業後入社した出版社は、Jリーグのオフィシャルスポンサーだった。Jリーグがはじまり、サッカーの周囲はかつてないほど華やいでいた。


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