1999年6月1日の開設以来、当サイトでは膨大な量のインタビュー記事、コラムを更新してきました。今回はサイト10周年を記念して1カ月間、過去の傑作や貴重な内容のものをセレクトし、復刻版として毎日お届けしています。記事内容は基本的に当時のままを掲載しており、現在は名称や所属が異なる場合もありますが、ご了承ください。コーナーラストを飾るのは2006年6月のサッカーW杯ドイツ大会より二宮清純の現地レポート傑作選です。
 組織としての形見えない「中東の雄」 〜メキシコ−イラン〜

 勝負には分水嶺がある。後半に入ってメキシコのエース、ハレド・ボルへッティが相手選手と接触、足を引きずり始めた時、イランに流れが傾くかと思われた。メキシコはハーフタイムで既に選手を2人交代させており、FWの軸をベンチに下げれば、交代枠の3人をすべて使い切ってしまうことになる。手元にカードがなくなれば、攻撃の(あるいは守りの)オプションは著しく制限される。これはリカルド・ラボルぺ監督にしてみれば想定外の事態だったはずだ。

 しかし、シード国のメキシコにはアクシデントを“ケガの功名”に変えるだけの力があった。主力選手の予期せぬ負傷交代が、逆にチームに求心力をもたらせた。「敵に弱みは見せない」。彼らの表情からは、そんな決然たる意志が見てとれた。

 後半31分、イランGK、DFのミスに付け込み、細かいパスをつないで最後はFWのオマル・ブラボがこの日、2点目のスコアをマークした。これで2対1。勢いに乗るメキシコは、さらに攻め続ける。同34分には右サイドのマリオ・メンデスのクロスを後半から入ったジーニャが頭で叩き込み、とどめを刺した。

「アジア最強」の呼び声が高かったとはいえ、イランは限界のあるチームだ。メフディ・マハダビキア、バヒド・ハシェミアンら個々のタレントは優れているものの、チームには一体感がなく、組織としての形がまるで見えてこない。

 マフムード・アハマディネジャド大統領の「ホロコースト(ナチスのユダヤ人大量虐殺)は神話だ」との問題発言も、選手たちの心理に微妙な影を投げかけたのではないか。イラン代表にはドイツでプレーする選手が4人もいる。“同じ穴のムジナ”と一括りにされるのは耐え難いことだろう。

“アジアの仲間”ということでイランに肩入れして見ていたが、ブランコ・イバンコビッチ監督のカードの切り方も後手後手で、後半はショートパス主体のリズミカルなメキシコ・サッカーに翻弄され、スタジアムはエル・トレオ(メキシコシティーの闘牛場)と化した。リードされてからというもの、老牛のように動きが鈍ったのは、チーム全体のフィットネスに問題があったからなのか。中東の雄は2戦目以降に大きな課題を残した。

 「70%の段階」で勝ち切る底力に敬意 〜ブラジル−クロアチア〜

 五輪で金メダルを狙っているスプリンターが1次予選から全力で走ることはない。勝負があらかた決したら、後半は流しにかかる。連覇を目指すブラジルに金メダル狙いのスプリンターの姿が重なった。

 後半に入ってからのブラジルは明らかに流していた。それはセレソンを率いるカルロス・アウベルト・パレイラ監督の次の言葉からも明らかだ。「お互いラフプレーがなくていいゲームだったね」。まるでマッチ・コミッショナーが口にするセリフだ。

 後半は明らかにクロアチアがゲームを支配していた。サイドから切り込む鋭角状のアタックは評判どおり。1対1での強さも際立っており、さすがに欧州予選を無敗で乗り切っただけのことはある。90分間を通してロベルト・コバッチを中心とする最終ラインが混乱に陥ることは1度もなかった。

 しかし、後半のクロアチアの戦いぶりを見て、日本が臆病風に吹かれることはない。日本のスカウティング能力は世界でも有数だが、相手のストロング・ポイントを必要以上に警戒し過ぎるあまり、逆に自らの長所を見失ってしまうような面がある。大切なのは“机上の空論”ではなく“地上の正論”なのだ。

 ただ、ひとつ言えるのは足元に自信のあるクロアチアのようなチームは、なりふり構わずパワープレーを仕掛けてくるオーストラリアのような相手よりは幾分、戦いやすいのではないか。プレスが機能していることが前提だが、高い位置でボールを奪回できれば、手数をかけずにフィニッシュまで持っていくことができる。あとは誰もが言うようにフィニッシュの精度だ。

 再びブラジルに話を戻そう。自慢のカルテット・マジコ(魔法の4人)は決勝点をあげたカカーを除いてはトップフォームに程遠い状態。ロナウドは明らかに“重め残り”で02年の再現は望めまい。クラシックレースを走るにはもう一叩きも二叩きも必要だ。

 しかし、この一戦でセレソンの先行きを不安視する声には与(くみ)しない。94年、24年ぶりの優勝を果たした時には「10番」のライーがまるで機能せず、パレイラはその対応に追われた。むしろ「60〜70パーセントの段階」(パレイラ)で簡単に勝ち切る、その底力に敬意を払うべきだろう。彼らにとって本当の勝負はまだ3週間も先なのだ。

 むちゃしてでも勝ち点3にこだわれ 〜日本−クロアチア〜

 あらかじめ覚悟はしていたが、やはりゴールは遠かった。ともに勝ち点3を狙ったニュルンベルクのサバイバルマッチはスコアレスの痛み分けに終わった。しかし最後にオーストラリア戦を残すクロアチアとブラジル戦を残す日本とでは、同じ勝ち点1でも意味合いは大きく異なる。「勝てた試合だった。大きな(勝ち点)マイナス2だと思う」。中田英寿のコメントが最もこのゲームの真実を言い当てていた。

 前半21分、川口能活が“神の手”でPKを止めた瞬間、日本に流れが来たかと思われた。だが波に乗り切れない。その理由は何か。あえて言わせてもらうなら強引さが足りない。それぞれが「リスクを取る勇気」と言ってもいいだろう。場面によっては、もっとむちゃをしてもいい。無鉄砲であってもいい。

 たとえば三都主。この日は左サイドの守りに大わらわだったが、しばしば攻撃の起点にもなった。ペナルティエリアの角まで進入して、ラストパスのコースと受け手を探す。間違った行為ではない。だが、そのままドリブルで切り込んで欲しいと思える場面が何度かあった。慌てた相手が足を出せばPKをもらえるかもしれないじゃないか。

 日本は組織だった攻撃を得意とするが「破調」がなければ「規律」は生きない。ジーコが口にする「自由なサッカー」とは、つまりはそういうことではないのか。勝ち点3が必要なのに不用意にボールを下げたり、必要以上に後方でパスを回すシーンもたびたび見受けられた。攻撃の糸口を探っているうちに、相手はしっかりと守りを固めていた。3戦全敗に終わったフランス大会、手続き重視のサッカーを評して本紙に「稟(りん)議書サッカーの限界」と書いた記憶がある。依然としてこの問題は解決していない。

 ところでFWの柳沢敦はこの日も決定機をフイにした。もう批判はしない。しかし、どうしても言っておきたいことがある。失敗はいい。ミスもいい。だけど、しくじった後、顔を覆ったり下を向くのだけはやめてくれないか。スタジアム全体に陰鬱(うつ)な空気がよどむのだ。チームの士気も下がるだろう。

 ブラジル戦に望むことはただひとつ。「肉を斬らせて骨を断つ!」。内容のあるゲームではなく、勝ち点3にどこまでもこだわって欲しい。骨なら拾ってやる。ただしサムライの骨ならば。

(第2回へつづく)

<このコラムは2006年6月に『スポーツニッポン』で掲載後、当サイトで紹介したものです>
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