「球戯」の伝道師、メッシ 〜オランダ−アルゼンチン〜

 明治期にボールゲームが外国から“輸入”された時、日本人は「球技」と名付けた。残念ながらそれは誤りではなかったか。独断だが「球戯」とするべきだった。文字どおり「球」と「戯れる」。これがボールゲームの本質だろう。
 アルゼンチンが生んだ早熟の天才リオネル・メッシのプレーを見ていると、そのことがはっきりと実感できる。まるで小リスのような俊敏さで密集を切り裂き、敵を置き去りにする。もう次の瞬間には猛然と牙をむいてゴールに襲いかかっている。その速いこと、速いこと。これだけ意のままに操られたら、ボールだってうれしいだろう。童顔の18歳は間違いなく「球戯」の伝道師である。

 この日は22歳のカルロス・テベスとのコンビで、再三、相手ゴールを脅かした。これに司令塔のファン・リケルメが絡むとパスのやり取りは難解な幾何学模様を描く。先のセルビア・モンテネグロ戦では長短25本ものパスをつないで敵をカタストロフに陥れた。「ポゼッション・サッカー」の神髄がそこにあった。

 蛇足だがボールをただ単にキープしているだけのサッカーを「ポゼッション・サッカー」とは呼ばない。自らの能動的な意思と、それを具現化できる高い技術でボールを所有し、ゲームを支配するのと、手詰まりになって仕方なくボールを持たされるのとでは意味合いは全く異なる。フィニッシュでの牙を持たず、ただボールを預かっているだけならば「デポジット・サッカー」とでも呼ぶべきだろう。利子でもつけばまだいいが、サッカーにそれはない。

 この日はアルゼンチン、オランダともに既に決勝トーナメント進出を決めているとあって球際の攻防にはやや精彩を欠いた。日本の工事現場に必ずある「安全第一」の看板を地で行く試合になることは最初から予想されたこと。アルゼンチンがエルナン・クレスポ、ハビエル・サビオラの2トップをそっくり入れ替えたのに対し、オランダはアリエン・ロッベンら5人の主力を温存した。ともにさっさと一次リーグ突破を決めた時点で、次の目標を決勝トーナメントの初戦へと切り替えていた。

“死の組”と言われながらC組のサバイバル戦線に異状はなし。W杯は78年のアルゼンチン大会までは現在の半分の16カ国で行われていた。その意味では世界最高峰の「球戯」は24日からスタートするとも言える。

 日本に必要な「フェアルックト」 〜日本−ブラジル〜

 およそ天文学的な確率の奇跡を起こすにあたり、このコラムで「肉を斬らせて骨を断つ」と書いたが、逆に敵の肉を斬ることには成功したものの、直後にバッサリと骨を断たれてしまった。だが彼我の実力をもってすれば、1対4という結果は致し方あるまい。

 前半34分、先制点を叩き出した玉田圭司にはスタンディング・オベーションをおくりたい。なぜなら、この一発が王国を本気にさせたからだ。前頭の力士が余裕のそぶりを見せる横綱に張り手をかませたようなものだ。明らかに横綱の顔色が変わった。「前半を1対0で折り返していれば……」との声もあったが、正直、そんなレベルの話ではない。ここぞという場面で点が取れるから、“ビア樽(だる)”のような体でもロナウドはあの場所に立っていられるのだ。

 実はこの試合前、取材でブンデスリーガの名門クラブ、ボルシアMGの育成部を訪ねた。そこで耳慣れない言葉を聞いた。「フェアルックト」。9歳から19歳まで約200人のティーンエイジャーを預かる育成部門の責任者は、取材中、しばしばこの言葉を用いた。意味を確認すると笑いながら首を横に振った。いわゆる放送禁止用語らしい。言葉のニュアンスからして「エキセントリックということか?」と通訳に質(ただ)すと「まぁ、奇人くらいにしといてください」との答えが返ってきた。「FWとGKはフェアルックトじゃないと務まらない。ひとりで戦うんだから」。育成部長は語気を強めてそう結んだ。

 もちろん、それは至上の褒め言葉だ。GK川口には、それがある。彼はひとりで戦い、“我が闘争”に勝利した。しかし、日本のFWには、ブラジル戦の玉田と巻を除き「フェアルックト」の断片すら見いだすことができなかった。

「今回の教訓を生かして、世界に通用するFWを育成しなければ……」。試合後、ある協会関係者が言った。果たして、そうか。FWとは「育てられる」ものなのか。これ以上、イケスの中で養殖のハマチをつくってどうするのか。それよりも飢えた一匹のシャチを大海から探し出してくるべきだろう。「日本にそんな若者がいるのか?」。早速、反論が返ってきそうだ。先の育成部長の言葉を借りよう。「点を取ることの喜びを覚えた若者から、それを奪ってはならない」。我が意を得たり。今の日本に最も必要なのは「フェアルックト」かもしれない。

 修羅場でみせたアズーリの強さ 〜イタリア−オーストラリア〜

 大会前、私はイタリアを優勝候補の筆頭にあげた。理由は金子達仁氏との対談でも述べたがユベントスを中心にした不正問題の“逆バネ”だ。82年に優勝した際は八百長の疑いで2年も出場停止に追い込まれたパオロ・ロッシが奮闘した。今回も黄金色のトロフィーを母国に持ち帰らない限り、彼らに居場所はない。世界チャンピオンになることと無実を証明することは本来、別次元の話だが、カルチョの国においては理性よりも情緒が優先される。早い話、「勝てば官軍」なのだ。

 それにしてもサッカーは何が幸いし、何が災いするかわからない。後半5分、DFマルコ・マテラッツィが一発退場になった時点で、イタリアの肚(はら)は固まった。ゴールにカギをかけ、10人で金庫を守り切る。すなわちカテナチオの復活だ。伝統の力といってしまえば身もフタもないが、これがイタリアの強さだ。窮地に追い込まれた時、彼らは決まって信仰する戦術に立ち返る。そして与えられた任務を遂行するため、全員が一糸乱れぬ行動を取り始める。一発退場以降、オーストラリアのボールポゼッションは6割を超えたが、私の目には「攻めあぐんでいる」ように映った。

 ところで名将ヒディンクは、なぜか動かなかった。後半36分に日本戦でダメ押しの3点目を決めたジョン・アロイジを投入しただけ。下手にパワープレーを仕掛けると“手負いのアズーリ”が得意とするカウンターの餌食になる可能性が高い。ここは無理をせず数的優位の状況を生かしながら、じりじりとプレッシャーをかけ、敵の体力を奪う。そして延長に入った時点でフレッシュなアタッカーを投入して勝負を決める――おそらくヒディンクはこうしたプランを思い描いたに違いない。

 しかし、こと修羅場をくぐり抜ける技術に関してはイタリアが一枚も二枚も上だ。終了間際、ロングクロスを受けたDFファビオ・グロッソがドリブルでペナルティエリアに侵入した。ひとりをかわした後、自らの手前で滑ったDFルーカス・ニールに足をあずけ、大げさに倒れ込んでみせた。ニールはしたたかなグロッソの罠(わな)にまんまとはまった。いかにしてしのぎ切るか、いかにして生き残るか、いかにして敵を蹴落とすか。苦しみ抜いた末のサヨナラゴールはアズーリの執念の結晶そのものだった。

(最終回へつづく)
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<このコラムは2006年6月に『スポーツニッポン』で掲載後、当サイトで紹介したものです>
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