二宮: 今回は存在感のある演技が魅力の遠藤憲一さんをお招きしました。私がインタビュアーを務めるBS朝日の「勝負の瞬間(とき)」でもナレーションを務めていただいています。
遠藤: 実はお会いするのは、初めてなんですよね。今日は楽しみにしていました。よろしくお願いします。


二宮: 悪役も多いせいか遠藤さんにはお酒に強いイメージがあります。
遠藤: ほぼ毎日飲みますね(笑)。昔は翌日、朝早くてもお構いなく外で遅くまで飲んでしました。最近はさすがにそれはできなくなっちゃいました。

二宮: 一番最初にお酒を飲んだ時の思い出は?
遠藤: しょっぱなに飲んだのはジンフィーズでした。横浜から海老名に相鉄線で向かう途中の駅に「ヤマト」というお店があって、そこへ友達に連れて行かれて飲みました。3杯くらいでベロベロになった記憶があります(笑)。

二宮: 今日は遠藤さんのためにそば焼酎「雲海」を用意しました。
遠藤: お酒は好きなだけで、あまり詳しくないんですが、焼酎はよく飲みます。米や麦のものを水で割ったり、たまにはロックでいただきます。この「雲海」のようにすっきりしていて、香りがさわやかなタイプが好みですね。

 「人間をつくる」ことに興味

二宮: 遠藤さんは昔から俳優志望だったんですか?
遠藤: いやいや。高校も中退してアルバイトをコロコロしていましたから……(苦笑)。学校を辞めると、どうしても持続力がなくなって、せっかくアルバイトを見つけても、ちょっと嫌なことがあるとすぐ辞めてしまう。それで、また新たなバイトを探す。そんな辞めグセがついた生活を1年くらい続けていました。
 ところが、ある時、ふと見た電車の中吊り広告でタレント養成所の募集広告が目に留まりました。芸能界に興味は全然なかったんですけど、「こういうのも募集してるんだ」と、軽い気持ちで飛び込んだら受かったんです。劇団に入って舞台に出てからですよ、芝居が面白いと思い始めたのは。

二宮: 少年時代に熱中したスポーツなどはあったんですか?
遠藤: 中学校までは野球をやっていました。小学生の時には巨人ファンで王(貞治)さんの3打席連続ホームランを後楽園球場で見たことがあるんですよ。でも、普段はチケット代が安かったのもあって、ヤクルトアトムズのファンクラブに入って神宮球場に行っていました。昔の神宮は外野のフェンスが低かったので、飛び越えてグラウンドに乱入することができた。あれが楽しくて楽しくて(笑)。学校帰りに神宮に行って、夜の10時とか10時30分に家に帰る日々を過ごしていました。

二宮: 遠藤さんは背が高いから、当時のポジションはピッチャー?
遠藤: ピッチャーはピッチャーでもリリーフでしたから地味でしたよ(苦笑)。あとはファースト。中学に上がると周りにうまい人がいっぱいいて、もう挫折しちゃいました。それからは何をやりたいという目標が全く見つからないまま、高校も続かなかった。

二宮: 小さい頃に芝居を見たりした経験は?
遠藤: いや、ないですね。ただ、気持ちの奥底では何かをつくることがきっと好きだったと思うんです。だから舞台と出会って、演技もまともにできなかったんですけど、「人間をつくる」ことが面白いと思った。それで、やりたいことが見つかって今に続いているという感じです。

二宮: そのタレント養成所では、他にも有名になった方がいたのですか?
遠藤: 結構いますよ。有名どころでは松平健さんも所属していました。僕と同時期では三原じゅん子ちゃんですね。彼女は子役時代からずっと所属していて、彼女が中学校3年生の時に僕が入った。いくつか一緒に芝居をやった記憶があります。まさか、その後、議員になるとは思いませんでしたが(笑)。

二宮: 養成所に入ってすぐ、この道一本でいこうと?
遠藤: まぁ、そうは思っていたんですけど、最初はそんなにギャラももらえない。だからチケットをノルマの分、売って、アルバイトをして、やっとトントンでした。そんな生活を2年近く続けて、先輩に「役者だけで食べていけるようになりたいんだけど」と相談すると、「仲代達矢さんが主宰する無名塾とか受けてみたら」とアドバイスされたんです。そこで受験してみると、幸いなことに受かった。でも10日で辞めちゃったんですよ。まだ、辞めグセが抜けていなかった(苦笑)。

二宮: それはもったいない……。
遠藤: みんなからは「何やっても続かないじゃん」って批判されましたよ。当時は新宿のしょんべん横丁(思い出横丁)で3カ月くらい、ひとりで腐って飲んでいましたね。20歳、21歳頃の話です。

 貫いた悪役を演じる上での信念

二宮: 役者生活が軌道に乗り始めたきっかけは?
遠藤: 偶然、劇団昴がやっていた「動物園物語」という2人芝居を見て、それがすごく気に入ったんです。舞台にはベンチが1個しかない設定なんですけど、「よし、これをやってみよう」と。自分で初めて演出して、相手役を先輩に頼みました。ベンチを用意するお金もないので、実はパン屋さんの前に置いてあったベンチを無断で借りてきて……(苦笑)。ペンキで真っ白に塗って、本番で使った後は、また元に戻した。きっと、そのパン屋さん、ビックリしたと思いますよ。ベンチがなくなったと思ったら、きれいになって戻ってきたから(笑)。その芝居をたまたま見たマネージャーからスカウトされて、ようやく映像の世界に飛び込んでいけたんですね。

二宮: デビュー作は?
遠藤: 1983年にNHKで放送された「壬生の恋歌」です。新撰組の平隊士たちの話でしたね。

二宮: それから、徐々に活動の幅を広げていくわけですが、あの「太陽にほえろ」にも出ていたとか。
遠藤: 最終回に犯人役で出てます。又野誠治さん扮する若い刑事を拉致する役です。当時は刑事ドラマが全盛だったせいか、「特捜最前線」とか「あぶない刑事」などで犯人役をたくさんやりましたね。時代劇でも、何か仕出かすような悪い役が多かったです。

二宮: やっぱり最初から悪役が多かったんですね。プロレスでもそうですが、ベビーフェイス(善玉)よりもヒールのほうが難しいと言われます。昔、“和製ヒール”の上田馬之助さんがこう語っていました。「ベビーフェイスは顔が良ければ誰でもできる。でもヒールはクレバーじゃなきゃ務まらないんだよ」と。ヒールは観る者に怖がられるように計算して振舞わなくてはいけない。それだけ遠藤さんには演技の才能があったということでは?
遠藤: どうなんでしょう? 始めはよく分からず、演じていたんですよ。ただ、面白かった。悪役のどこかが屈折している部分を、自分で工夫しながらつくっていけましたから。でも時代劇ではよく怒られましたね。当時は抑揚をすごくつけるのが主流だったので、東映の映画村へ収録に行くと、「なんだ、その芝居は? 東京のどこで覚えたか知らんけど、通用せんで」と……。

二宮: 遠藤さんが演じる悪役には、どこか感情を押し殺したところがありますよね。それがまたニヒルな雰囲気を作り出している。
遠藤: 僕の中ではそっけない感じで普通にやっていただけなんです。悪役だから、怖いイメージを全面に押し出すのではなく、淡々と演じたかった。その部分は自分の信念として譲らずにやってきましたね。でも、まだ若手の頃は、自分から「こうしたい」なんて言えないじゃないですか。だから注意された時は、ちょっとメリハリをつける程度にして、何とか「OK」をもらっていました。今では悪役でもそういう演じ方が主流になっています。自分を信じてやってきてよかったと思っているんです。
 もちろん、今度はみんながそういう演技ができるようになると、自分としては次のステップに進まなくてはいけない。その部分で最近、悪あがきしています(笑)。

二宮: 僕が個人的に好きなのは「湯けむりスナイパー」。元殺し屋なんだけど、素性を隠している部分の演じ分けが絶妙です。
遠藤: 1人の人物で2つのパターンを演じられたのは楽しかったですね。こういった物語は?シネマならできるかもしれないですけど、普通の地上波ではなかなか難しい。それがテレビドラマとしてできたというのがビックリしましたし、うれしかったです。

 自分を解放してくれた三池監督

二宮: 主な出演作品を見ただけでも、ドラマも映画も総なめといった印象を受けます。数ある作品の中で印象に残っているのは?
遠藤: 実は自分の出たものではないんですけど、「ゴットファーザー」ですね。舞台を右も左もわからないでやっていた最初の頃は、リラックスできなくて体が動かなかったんです。自分では動きをいろいろ考えて、つくっているんですけど、ロボットみたいになっちゃう(苦笑)。どうすればいいんだろうなと思っていた矢先に「ゴットファーザー」PART1をリバイバルで観ました。その中にマーロン・ブランド演じる主役に、手下が「あんたの息子が殺された」って報告にくるシーンがあります。その時、マーロン・ブランドは何もしゃべっていないのに、こちらに悲しさがブワッと伝わってきた。それを見た瞬間、動きではなく、まず気持ちを出すことが大事なんだと分かったんです。

二宮: それが先程の抑揚をつけすぎない演技につながったと?
遠藤: そうです。変な抑揚をつけたり、余計な動きをしない。それを意識して演じていて、ひとつの転機になったのが、「あぶない刑事」です。あの時はメガネをかけてコンピューターを操作する犯人役でした。この冷酷で動きの少ない役を、より何もしないように心がけて演じると、そこからかなり犯人役のオファーが増えた。だけど、その犯人役から、さらに僕を解放して、役者としての幅を広げてくれたのは三池崇史さんですね。

二宮: 三池さんは私も縁がある映画監督です。昔、赤井英和や渡嘉敷勝男らのエピソードを下敷きに『喧嘩の花道』というノンフィクションを書いたのですが、その第1作目を映画化したときの監督が、実は三池さん。三池さんから与えられた配役は?
遠藤: 若いフィリピーナと不倫の末に傷害事件を起こした囚人の役をやりました。2001年に公開された「天国から来た男たち」という映画で、フィリピンの刑務所で捕まった日本の囚人たちが脱走を試みる話です。三池さんは、それまで出会った監督とは違って、「こうしろ」という指示は少ない。その代わり、ヒントをいくつかもらえる。それらを敏感に感じて、グワーッと魂で演じるのが好きな監督なんですね。僕自身も三池さんのヒントからひとまわり成長できた気がしています。

二宮: 遠藤さんは?シネマにも出演されていましたが、三池さんとの接点はそれまでなかったと?
遠藤: ええ。?シネマに出るようになって、共演者から「三池さん、面白いよね」と言っているのをよく耳にしたんです。でも、僕は三池さんと面識もないし、声もかけられたことがない。「オレ、出たことないよ」「なんでやらないの?」「だってオレ、呼ばれたことないもん」といった共演者とのやりとりが何回も続くうちに、「三池さんと一緒にやりたい」という気持ちが強くなっていきました。
 それで3年くらい経ったある時、知り合いの俳優の結婚式のパーティーに行くと、三池さんが二次会に来ていました。みんな、僕の思いを知っていたから「三池さん、来たよ」と教えてくれたんです。その瞬間、もうヘンなスイッチが入っちゃった(苦笑)。何と言っても3年間、思い続けた人でしたから。ダーッと三池さんのところに駆け寄って、「三池さん、オレのこと知ってますか?」「何でオレのこと使わないんですか?」といきなり初対面で失礼なことを言ってしまった(笑)。みんなには羽交い絞めにされて止められましたけど、おかげでその日は散々、一緒に飲み明かすことができました。最後は三池さんの膝の上で泣きながら寝ちゃったらしいです(苦笑)。「天国から来た男たち」のオファーをいただいたのは、その1週間後でした。今、振り返ると恥ずかしい話ですが、お酒の力がなかったら、あそこまで強引なアピールはできなかった。お酒が新境地を切り拓いたといえるかもしれません(笑)。

(後編につづく)

<遠藤憲一(えんどう・けんいち)プロフィール>
1961年6月28日、東京都生まれ。83年にNHKドラマ「壬生の恋歌」でデビュー。映画デビューは88年公開の「メロドラマ」。02年には「DISTANCE」で第16回高崎映画祭最優秀助演男優賞を受賞。善悪問わず、幅広い役柄を演じ分け、テレビ、映画、CMなどで活躍している。主な出演作は映画「クライマーズ・ハイ」、ドラマ「白い春」「不毛地帯」「湯けむりスナイパー」「てっぱん」など多数。また番組ナレーションやアニメの声優も務め、「勝負の瞬間(とき)」「ノンフィクションW」「世界温泉遺産」などを担当している。
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◎クイズ◎
 今回、遠藤憲一さんと楽しんだお酒の名前は?


 お酒は20歳になってから。
 お酒は楽しく適量を。
 飲酒運転は絶対にやめましょう。
 妊娠中や授乳期の飲酒はお控えください。

(構成:石田洋之)
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